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さがみはら中央区 社会

公開日:2023.08.03

70年代 ボウリング場が

  • 1970(昭和45)年、ボウリング場がオープンしたときのチラシ=古谷織物工業提供

  • フルヤゴルフガーデン

  • 取材に応じる渡司さん

営業は「数年間」

 古谷ボウル渕野辺―。2020年代の今、この施設名に聞き覚えのある人は、なかなか少なくなっているかも。それはボウリングブーム真っ只中の1970年代、淵野辺2丁目、現在はスーパー「フードワン淵野辺店」があるところで営業していたボウリング場だ。

 古谷ボウルは、当時この地に工場を構えていた古谷織物工業(品川区)の子会社が運営していた。70年代のブーム中は、市内にボウリング場が10施設ほど営業していたと言われており、淵野辺では駅南口にもあったという。古谷ボウルも他と同様に「ブームの流れに乗って」、70年に開業。オープン時は多くの来賓を招いての盛大なセレモニーが開かれ、当時一世を風靡した「ミスターボウリング」こと、岩上太郎さんが来場した記録もある。

 ただ、その流れに乗るのが少し遅かったのか、なかなか客足は伸びなかった。「自動販売機で飲み物を買うと、取り出し口に缶が落ちる『ガジャーン』という音が場内に響き渡った」というほど、「静か」だったという。

 経営者の判断は早かった。73年、同社の敷地内にゴルフ練習場「フルヤゴルフガーデン」を建てまもなくボウリング場は閉業。その後、建物は改装されスーパー三和が入居した。ボウリング場は数年間の営業だった。

 「近くに映画館(ロマンス座)や卓球場もあり、大学では相撲部や空手部の学生が賑やかだった。懐かしいね」。今回ボウリング場の取材に応じてくれたフルヤゴルフの元支配人渡司市男さんはそう振り返る。渡司さんは50年近く、この街を見守ってきた。時代が変わり、新住民も増え、かつてここにボウリング場があったことを知る人は少なくなっている。ちなみに経営者はなぜボウリング場からゴルフ場に切り替えたのか?関係者は「真相はわからない」としつつ「『丸く転がるものはお金をまわしてくれる。お金に困らないから』と言われているからですかね」と推測した。

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