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さがみはら中央区 人物風土記

公開日:2025.02.27

相模田名民家資料館を管理する田名財産管理委員会の会長を務める
田所 昌訓(まさのり)さん
田名在住 86歳

第二の故郷愛する「田名人」

 ○…地域住民らから寄贈された七段飾りのひな人形がズラリと並ぶ圧巻の光景が広がる古民家の広間。その数400体以上、古いものは江戸時代に制作された人形だという。ひな人形展を企画し会場となっている「相模田名民家資料館」を管理する地域住民組織「田名財産管理委員会」で50人近いメンバーをまとめる。「人形の表情が異なる。この違いを見ていくのも楽しみ方のひとつ」

 ○…戦時中の満州生まれ。7歳の時に終戦を迎え、役人だった父と離れ離れになった。混乱の中、引き揚げ船が出る港に辿り着いた時、父親もその港に姿を現した。「現地の人と毎晩のように酌み交わしていた。その人たちがかくまってくれたみたいなんだ。奇跡だよ」。ユーモアを交えながら柔和な笑顔で話すが、この話を語る時はそれとは異なる表情を見せた。

 ○…父親の故郷・田名の地に移り住んだのが7歳の冬。以来、80年近く田名に暮らす。「相模原というより田名に暮らしているという感覚が強い。『田名人』かな」。第二の故郷に対する思いは強い。今は耳にする機会も減ったという田名地域の方言にも引き揚げ者ならではの独特の思いがある。満州時代に口にしていたのは標準語。「べ」「だんべ」「ひっされ」-。「使う努力をした。標準語を話していたらいじめられちゃうからさ」

 ○…陶芸が40年来の趣味。自宅に窯を持つ。釉薬は自ら調合し、窯の中に炭をくべる独自の手法で、作品を焼き上げる。「小学校の時、絵を描いて三重丸をもらったことはないけど」。ユーモアたっぷりに趣味を語る。委員会のルーツは村有林を管理する地域組織だ。「地域のためにだよ」。引き揚げ時のエピソードを語った時と同じ表情に強い思いを感じさせた。

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