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さがみはら中央区・緑区 文化

公開日:2026.10.01

  • 上町のみなさん

    上町のみなさん

  • 囃子保存会会長の高城健太さん(笛)

    囃子保存会会長の高城健太さん(笛)

  • 囃子保存会の本田涼さん(鉦)

    囃子保存会の本田涼さん(鉦)

  • 囃子保存会の鈴木大翔さん(半纏)

    囃子保存会の鈴木大翔さん(半纏)

  • 自治会長の渡部肇さん(出発式)

    自治会長の渡部肇さん(出発式)

  • 山車の運行(上町地区)

    山車の運行(上町地区)

  • 6基の山車による叩き合い(大沢本部)

    6基の山車による叩き合い(大沢本部)

祭礼に密着

 相模原市緑区中野に鎮座する中野神社は森戸・仲町・上町・奈良井・川坂・大沢の6地区の総鎮守で、毎年7月28日が例祭日となっており、例大祭の神事が執り行われる。祭礼行事は7月最終土曜日に神輿渡御、前日の金曜日に6地区ごとの行事、翌日の日曜日に山車の運行と3日間にもわたり、宮神輿1基、万灯神輿1基、子供神輿6基、山車6基が参加する相模原市内で最大規模の祭礼である。私は令和8年(2026年)7月24日(金)から26 日(日)に行われた同祭礼において、氏子地区の一つである上町に密着取材をした。

 「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、祭りを通して地域の活性化につなげることを主な目的としている。

人形山車 〜八王子八日町から中野上町へ〜 / 築井囃子保存会 会長:高城健太さん

 上町の山車は明治20年(1887年)頃に建造され、大正15年(1926年)頃に八王子の八日町一、二丁目から上町へ売却された。昭和20年(1945年)の八王子空襲によって八王子の古い山車の多くが失われ、明治期の山車の構造を知る上でも貴重な資料となっている。上町の山車は一本柱立て人形山車として建造され、屋根の上には彫刻の付いた円形の台が乗り、更にその上には人形(雄略天皇といわれる)が立っていた。唐破風屋根の中央部から後部にかけて棟が二つに分かれ、その二つの棟の間が円形の台と人形を付けた心柱(本柱)が後方から立てられる際の通り道となっていた。人形は譲り受けなかったが円形の台は上町に現存しており、総欅で周囲には見事な彫刻が彫り抜いてある。上町での修理により現在は心柱を通すことはできないが、山車の背面中央には心柱が通過できる間隔で二本の間柱が立っており、今なお人形山車の面影を残している。 祭礼初日の24日(金)の宵宮の午後からは山車の準備が行われ、18時からは子供会、20時からは保存会を中心に囃子の演奏が行われた。築井囃子保存会の3代目の会長を務める高城健太さんは、2月に訪れた同会の囃子練習の取材の際にわざわざ私を山車小屋まで連れて行っていただき、その時に初めて上町の山車を拝見した。重厚な彫刻をちりばめ、全体的に引き締まった気品のある姿からは、明治建造という歴史の重みがにじみ出ていた。高城さんは囃子方としても同会を引っ張る存在で、演奏することを楽しむと同時に、見ている人に喜んでもらえるよう日々修練している。また、同会では先人より引き継いできた地囃子の継承はもちろんのこと、他団体との交流や遠征(八王子まつり等)のため、流派にかかわらず技術の向上に積極的に取り組んでおり、それによって知識や経験が深まると考えている。「どこの地域でも祭りがそこに住み続ける目的や、里帰りをする目的になり得ると思います。各自治会が互いに助け合いまた競い合うことで、より良い祭り、より良い地域となるように囃子連として頑張っていきます。中野神社のお祭りが今と変わらず後世まで続いていく、そしてより素晴らしい祭りになって行くことの一助になれればと考えています。」という高城さんは、子供たちに楽しんでもらえる環境づくりに取り組む。

宇津貫囃子 〜伝統の継承と新たな挑戦〜 / 築井囃子保存会:本田涼さん

 上町に伝わる囃子は大正初年に八王子の宇津貫から習得したが、八王子では既に宇津貫囃子(うつぬきばやし)の伝承は途絶え、相模原市内での伝承団体も少なく希少な囃子となっている。上町では戦前から「上町囃子連」として活動してきたが、対外的な活動の増加に伴い、いたるところに同名の囃子連が存在すること、津久井という地名がなくなるなどの理由により、平成24年(2012年)7月に名称を「築井囃子保存会」と改称し、初代会長には高城健太さんの父親である高城和成さんが就いた。近年では従来の宇津貫囃子に加えて、技術の向上と研究のために江戸囃子なども取り入れている。 私が相模原市内の祭礼を取材したのは、令和6年(2024年)に行われた太井の諏訪神社の例大祭に続いて2件目となるが、当時、太井の「小網飯縄囃子保存会」の山車の上で演奏していた築井囃子保存会の囃子方を初めて目にし、その溢れんばかりの才能に驚愕したことを今でも鮮明に覚えている。そのうちの一人である本田涼さんが囃子を始めたのは小学2年生で、上町の子供会である双葉会の囃子練習への参加がきっかけであった。その後、小学4年生で上町囃子連に入会し、17年間続けた現在では指導者の立場で同会の運営に携わっている。昨今では多くの地区で祭礼関係の担い手不足が深刻化しているが、同会では年々少しずつ会員数が増加しており、大人になってから囃子を習い始める人もいるという。「祭りを支えてくださっている自治会の方にも楽しんでもらえるように演奏することで、その姿を見た後輩たちが将来自分たちも同じ様になりたいと思ってくれれば良いなと考えています。祭りは一人では行えません。囃子会、神輿会、自治会など多くの方々が協力することで初めて開催できます。常に周囲に対して感謝の気持ちを忘れず、祭りに全力で携わることで周囲の方々に恩返しができたらと思います。」という本田さんは、技術向上のために今日も他地区への遠征へと向かう。

宮神輿 〜御浜降りと神輿の復活〜 / 築井囃子保存会:鈴木大翔さん

 城山ダム(津久井湖)ができる以前、中野神社の宮神輿は祭礼時に相模川へ入って禊をする、いわゆる「御浜降り」を行っていたが、大正11年(1922年)7月28日の祭礼では大雨により神輿が流されてしまった。現在の神輿は昭和29年(1954年)7月に東京浅草田原町の岡田屋で購入されたもので、今は御浜降りを行っていないが、中野地区の最西端に位置する大沢地区で「御浜降り祭」と称して神事を行い、汲んできた水を神輿にかけている。2日目の25日(土)は神輿がメインの行事となり、15時から21時の間で宮神輿が中野地区を渡御する。このとき、上町の山車は宮神輿が上町地区を渡御する間だけ、宮神輿の後ろを運行する。なお、上町からは神輿の睦会である「闘将皇(とうしょうすめらぎ)」の万灯神輿が加わり、中野神社前までは2基での渡御となり、最後は宮神輿のみが宮入りする。 この日は朝7時から宮神輿の準備が行われ、築井囃子保存会の2代目会長を務め、宮神輿の「結(むすび)の会」の会長でもある井上等さんと、同じく築井囃子保存会に13年所属している鈴木大翔さんが率先して神輿の準備を進めていた。鈴木さんは同会のインスタグラムの広報担当で、今回の取材のきっかけを作っていただいた方である。鈴木さんは2年前に太井の取材で本田さんと共に参加していたもう一人の囃子方で、上町の神輿会である「絆會(きずなかい)」にも所属するという、祭りを深く愛する人物である。鈴木さんは神輿を組み立てる作業が一番好きで、幼い頃から師匠である井上さんから輿棒の組み方などを教わり、上町の子供神輿や中野神社の宮神輿にも携わるようになった。「氏神様がお乗りになる神輿ですので、できるかぎり綺麗に美しくなるように飾り綱の四隅の房を揃え、鈴が寝ないようにきつく縛り、榊や提灯が真っ直ぐ向くように調整しています。また、美しい姿を保った状態で宮入りできるように、渡御の休憩中も神輿の手入れを心掛けています」。寡黙で淡々と作業をこなす鈴木さんだが、祭りへの想いは誰よりも熱い。

子供神輿渡御 〜祭礼を陰で支える功労者〜 / 上町自治会 書記:宮本美枝子さん

 上町では25日(土)の10時頃に子供神輿をトラックで中野神社へ運び、他の5地区の子供神輿もこの時に集結する。13時からは子供神輿の発輿祭が行われ、6基の子供神輿はそれぞれの地区へ戻る。上町では15時半から18時にかけて子供神輿の渡御が行われ、トラック山車の囃子とともに上町地区を練り歩いた。上町の南側は山坂が多く、子供神輿をトラックの荷台に乗せていたが、平坦な道では子供たちが元気よく担ぐ姿が印象的であった。また、休憩場所には地元のスーパーなども協力し、飲食物の提供やトイレの使用などを含め、こういったサポートも祭礼の大きな支えになっていることを感じた。 3日間の祭礼では上町自治会館で食事の準備が行われ、女性陣が協力して準備を進めていた。祭礼費用の収入減少や物価高の影響で難しい運営が迫られているのは上町に限った話ではない。自治会で書記を務める宮本美枝子さんは、今回の祭礼で上町の賄いを担当した。「祭礼関係の役員やお囃子の方々に少しでも喜んでいただけるよう、そして、お腹いっぱい食べていただけるような思いから、安く、美味しく、早く提供できるよう、賄い担当のお手伝いの方々と、メニュー作り、試食会、買い物と準備をしてきました。」という宮本さん。この経験を通じて地域の方とのつながりや、祭礼に楽しく参加できたことに感謝しているという。また、上町ではこの祭礼のために「祭典委員会」が組織され、事務局班長の小林健さんは山車の運行責任者も兼任するなど、献身的に祭礼全体を陰で支える同会の存在は非常に大きい。この場で全ての方を紹介できないのは残念だが、取材でお世話になった上町の全ての祭礼関係者の皆様に、心より感謝を申し上げたい。

山車運行 〜上町の想いを綱に込め〜 / 上町自治会 会長:渡部肇さん

 3日目の26日(日)は山車の運行がメインの行事となり、朝8時半から行われる上町での出発式では自治会長により、山車の前に設置された2本の忌竹に張られた注連縄が切られる。午前中に上町地区を2時間ほどかけて山車を曳き、午後からは当祭礼の最大の見せ場といっても過言ではない、6地区の山車による合同の運行が行われる。中野6地区は中野神社に近い東端の森戸から西端の大沢までがおおよそ横並びになっており、6基の山車は1年ごとに出発地点を森戸と大沢で入れ替えて経路を反転させる。この年は森戸が出発地点となり、15時に6基の山車が集合すると中野神社の宮司と氏子総代、そして祭典本部によって出発式が執り行われ、6地区の全ての本部で山車を並べて叩き合いを行いながら移動し、最終地点の大沢で21時頃に閉幕式が行われた。 3日間の祭礼を終え、上町での最後の挨拶で印象に残ったのは自治会長の言葉であった。渡部肇さんは祭礼中で特に尽力をした人を忘れないようにメモへ控え、祭礼の最後に参加者の前で感謝を述べるその姿勢は、上町地区での行事が盛大に行われている理由をまさに象徴しているそのものであった。少子高齢化と新規会員獲得の難しさから、自治会の運営そのものが難しくなっているという渡部さん。上町自治会として長い間、中野神社の祭礼に参加してきた伝統を未来につなぐべく、上町自治会の奮闘はこれからも続く。

取材を終えて

 太井での取材の時も感じていたが、緑区は交通の便に難があると言わざるを得ず、中野の祭礼関係者からは地元を離れて橋本駅周辺に住む人もいるという話も聞かれ、人口流出や商店街の衰退なども含め、中野神社の祭礼の運営にも影響を与えていると思われる。しかしながら、このような状況の中でも6地区が協力してこの盛大な祭礼を見事につくり上げている姿を目の当たりにすると、氏子のみなさんの祭礼に対する並々ならぬ強い想いを感じるのである。 実のところ「中野神社例大祭」は平成23年(2011年)に「つくい中野夏祭り」と名称を変更し、神社の祭礼と中野地区としてのイベントを融合した形式となっているが、運営が年々難しくなっていく状況の中で、伝統のある祭礼を将来へ末永く伝承するための大きな決断であった。今回の取材では上町だけでなく、祭典本部で総行司を務める新井直文さんをはじめ、つくい中野夏祭り実行委員会の皆さんにもご協力をいただいたことで、より深く中野神社の祭礼を理解することができた。奇しくも、同じ相模原市内で行われる最大行事である「上溝夏祭り」と同時期での開催となりますが、このコラムをご覧になった皆様には、是非一度、この素晴らしい中野の祭礼にも足を運んでいただけますと幸いです。

「タウンニュース市民ライター」とは、(株)タウンニュースが認定する、地域の市民ライターです。市民の視点で地域の魅力を再発見し、情報を発信してもらいます。

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