大正琴をアンサンブルで――。そんな独特のスタイルを見出し貫いてきた、上恩方町・中之島流大正琴が4月、設立30周年を迎える。単独で演奏することが主流だった大正琴の演奏スタイルに変革を起こし国内外から評価を受ける背景には「観客だけでなく、演者も楽しめるように」という宗家の中島国幸さん(66)の思いがある。
流派設立は1989年4月。大正琴教室を主宰していた母親を支えるため、その教室で琴を教えていた中島さんが立ち上げた。母親が師事していた流派の家元が亡くなり、代替わりすることが決まったことや、自身でつくったオリジナルの曲を発表したいという思いが決断させたのだという。
そしてスタートした中之島流――。その後の躍進をもたらしたきっかけは直後に訪れた。
多摩市でコンサートを開いた際、楽譜の出版や楽器の販売を手掛ける会社の担当者に「中之島流の曲を愛好者が使う教本にしたい」と声をかけられたのだ。
断る理由もなく、承諾すると中之島流の曲が全国の大正琴愛好者の手で弾かれるようになり、中島さんの元には国内外から講師依頼の電話が殺到した。「ありがたかったですね。その会社さんには今でもお世話になっています」
弾く人も
人気の引き金となったのが、「アンサンブル型」で構成される中之島流のスタイル。元々、大正琴は「ポン、ポン、ポン」という単音で演奏する形が主流だったにも関わらず、学生時代にバンドを組んでいた中島さんが「聴く人も弾く方も楽しめるように」と、バンドのように重奏する形を中之島流の基本としたのだ。「邪道だ、という声も聞こえてきましたが、型にはまるよりも、みんなが楽しめるようにしたかったんです」
そして広がった中之島流。2000年を迎える頃には、大正琴ブームにも乗り全国に4千人近い弟子を抱えるまでに。「この頃は無我夢中でした。気づいたら年を重ねていたという感じです。以来、お弟子さんを始め、多くの方に支えられてきました」
プラス思考で新天地へ
そうした経緯を踏まえた今、中之島流の課題となっているのが大正琴の人気低迷だ。
多くの娯楽が誕生するなか愛好者の高齢化などが重なり、「新たに」という人が増えていかないのだ。それは中之島流も例外ではなく、現在の弟子の数は最盛期の4分の1程度にとどまるという。
そんななかでもプラス思考で現状を打破しようと中島さんは人気回復案を模索する毎日を送っている。「大正琴の音色を聞く機会を増やしていけば、今の若い人たちにも興味をもってもらえるようになると思うんですよ」と話し、こんな時だからこそ、演奏会をより多く開いていきたい、と。
そして、もう一方で狙うのは中国への進出。「1年ぐらい住んで広めていきたい。中国には大正琴に近い音色の楽器があるので多くの方に馴染んでもらえると考えています」と中国で大正琴ブームを起こしたい、という野望を抱いているのだ。
そう中島さんが話せるのは、妻で現在、同流派の総主を務める裕美子さん(64)と家元に就く、息子の琴裕さん(42)の存在があるから。
「裕美子がいなかったら、私はここまで来られなかった。琴裕は大正琴への思いが強く安心して任せられる」と2人への感謝の気持ちを口にし、大正琴の人気回復へ――。中島さんはもう一旗あげるつもりだ。
|
<PR>
八王子版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|