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八王子 社会

公開日:2022.08.11

「命さえあればいい」
柴田 穰一さん

  • ●柴田産婦人科医院(横川町)理事長。福岡県出身、88歳。

 私は生まれてすぐ満州に渡り、エンジニアとして現地に派遣されていた父親と一緒に、家族で暮らしていた。将来を考え、小4のとき弟と日本の母親の実家に帰ったが、小6になり上空にB29が飛ぶようになると、祖父母の勧めで8月上旬に再び満州へ。すぐに15日の終戦を迎えた。

 すると同時に、石炭を掘るため日本に雇われていた中国人の態度が一変。物を盗りに日本人居住区へ押し寄せてくるので、レンガや石で襲撃に備えていた。銃撃されるとじっと伏せていたが、怖かった。ものが欲しいとかは一切なく「ただ生きたい、命さえあればいい」。本当にその気持ちだけだった。

 終戦から何日か経つと、ソ連軍が戦車で満州に入ってきた。日本軍は武装解除となり、父親の部下はソ連軍に召集されて戦地へと送り込まれた。工場長だった父親は、旋盤や鋳物など機材の解体を命じられ、何でも持っていかれた。現在、ウクライナに侵攻するロシアの戦車をテレビで見るが、同じような光景だった。

 やがて日本へ引き揚げることになったが、壮絶な日々。逃げながら畑のものを食べたりしたが、食糧はなく、5歳以下の子どもは栄養失調で何十人も亡くなった。3歳だった妹も衰弱により、列車で息を引き取った。停車中にそっと土を掘って埋葬したことは、忘れることはない。当時はみんなそう、船中であれば水葬だった。

 毎年8月15日が来ると、その頃の思いがよみがえってくる。生きていたことが最高の喜びだ。

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