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八王子 社会

公開日:2025.08.14

八王子と戦争
今なお残る記憶
八王子を襲った2つの惨劇

  • 八王子空襲後の市街地写真。1945年10月、斉藤五郎氏が八日町で撮影。中央の道路は甲州街道。八王子市郷土資料館蔵

  • 現在の湯の花トンネル=2023年撮影

八王子空襲

 1945年8月2日未明、太平洋戦争末期の八王子市は、米軍のB―29爆撃機約170機による大規模な空襲に見舞われた。東日本の鉄道交通の要衝であり、軍需工場関係者が多く居住していたことが、空襲の理由と考えられている。約2時間にわたる焼夷弾攻撃により、市街地の大部分が焼け野原と化し、約450人の尊い命が失われ、約2000人が負傷する大惨事となった。市民の暮らしを一瞬にして奪ったこの日の記憶は、今もなお、平和の尊さを伝える証言として語り継がれている。

湯の花トンネル列車銃撃事件

 その3日後にあたる8月5日正午過ぎ、終戦間近の八王子で、もう一つの悲劇が発生した。新宿発長野行きの満員列車が、湯の花(いのはな)トンネル東側入口付近で米軍戦闘機P51の機銃掃射を受けたのである。この日本最大と言われる列車銃撃事件により、52人以上が死亡し、133人が重軽傷を負った。事件後、地元の青年団が犠牲者を供養するための供養塔を建立。この「いのはな慰霊碑」が平和を語り継ぐ場となっている。慰霊の会は毎年8月5日を供養の日とし、犠牲者の冥福を祈っている。

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