徒然想 連載327 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
今月は、野鹿(やろく)は繋ぎ難く、家狗(やく)は自ら馴(な)る。いかに況(いわん)や、自ら心を恣(ほしいまま)にせば、其の悪幾許(あくいく)ぞ、です。
出典は平安、源信著『往生要集(おうじょうようしゅう)』。
意は、野に放たれた鹿を繋ぎとめることは難しいが、家で飼っている犬は自然に馴れてくるものです。それなのに、自分の心を制御しようとしなければ、その悪なるは計り知れない、ということです。
修行をする者は環境を整えて、様々な修行上の障害を除く方法は当然の事ながら、悪いことをせず善い行いに勤しむことが必要になる。師が説く、「止悪修善」と言っても、それは簡単なことではないのです。
師は念仏を唱えれば自ら悪い事はしなくなるものだけれど、修行中実際に心浄(きよ)らかに念仏修行できたかと言えば、私達一般の人々は雑念、妄念が入り交じって浄らかな部分はほんの少しでしかないだろうと、言っている。
正修念仏として、身・口・意を用いて礼拝し仏名を唱えて、心を戒めて戒律を保ち精進する心を忘れてはいけない、と師は教えています。
桃蹊庵主 合掌
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