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大和 コラム

公開日:2025.11.21

徒然想 連載332
花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄

 今月は、十方は空にして異なるもの無きも、衆生分別を起こして、是のごとく如来に取らわれ、虚妄(こもう)して仏を見ず、です。

 出典は、インド、大乗経典『華厳経』。

 意は、すべてのものは皆、縁によって現れたものであるから、もともと差別はない。差別を見るのは、人間の計らいによって如来をでっちあげ、如来を妄想していると、いう事です。

 世の中の一般的な比較を挙げてみると、大小、長短、遅速、白黒、明暗、高低、広狭、寒暑、美醜、清濁、巧拙、優劣等々。

 これらはその立場が変わったり、場所が変わったりまた、見方が変わったりすると、それまでのものとは違ってくる。

 例えば長短についてもそれまで短いと思っていたものも、更に短いものと比較してみると決して短いと言えない。

 比較というものは、必ず人間の計らいから起こる事を知っておかなければならない。この世間に存在するものは、様々な条件が複雑に関係している。その価値感の基準は時間が経てば場所が変われば、また人間が変われば、すべてのものが大きく変化していくものです。

 軽率に他人の事を様々に比較するべからず、と、諭しているのです。

桃蹊庵主 合掌

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