街の宝物
厚木高校時代、男子の間で「河原ッタ」という言葉が流行った。顔を洗った、ではない。かわらった、である。女の子と相模川の河原に行ったという意味だ。当然のこと、河原で空き缶拾いをしたのではなく。ナニかして来たぜ、という報告である。もっとも40年前、基本ガリ勉君揃いの厚高で、河原ッタのなんかごく一部の英雄たちのみだし、ナニと言ってもチューぐらいのことだったと思うのだが。ガリ勉ではないが、奥手チームだった私は、英雄たちの雄姿を仰ぎ見るばかりであった。
10年前、文化会館で上演した市民劇『リバーソング』では出演者たちに川の思い出を語って貰うシーンを作った。その中で、お爺さんの遺骨の欠片を笹舟に乗せて流したというエピソードがあった。そんなことは本当はいけないのかもだけど、お爺さんは喜んだだろう。
厚木にとって、この川は大きな財産だ。この街の人たちの思い出と希望が、ずっと流れ続けている。大昔から、昭和を経て、平成を超えて、更にその先に向かって。大切な資源であり、文化でもある。こんな宝物を授かっているのだから、守るのは当たり前のこと。それ以上に、さまざま使わせて頂くべきではないかと思う。ひと昔の開発の発想ではない、もっと共生的な、川を愛するスタイルで。花火だけではもったいない。
個人的には本物の船を川に浮かべて、生きた馬を走らせ、本水や本火を使った壮大な野外歴史劇など、いつかやりたいと夢想している。
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