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厚木・愛川・清川 コラム

公開日:2020.02.21

父の死と緩和ケア

 サラリーマン生活を終えて約20年、扉座の運営を手伝ってくれた父が亡くなった。87歳の大往生だ。昨年秋、胃を中心に内臓中に散ったガンが見つかって、年越しは厳しいという診断が出た。本人と家族同意の上、ガンとは闘わず、痛み苦しみを取り除くことを最優先する、緩和ケアを受けることにした。お世話になったのは町田市民病院である。



 ここの緩和ケアが素晴らしいものであった。治すことを考えないと言うのは、簡単な決意ではない。父の年齢と状況があって、迷いなく選択できたことだ。幸い、病んでも頭脳は明晰で、死ぬ前日まで、言葉と身振りで会話が出来ていた。痛みがまったく出ないという有り難い奇跡もあって、起き上がることはかなわなかったけど、入院して2か月、穏やかな船旅のような別れの日々を過ごせた。



 会いたい人たちに会って、笑ってサヨウナラを言った。涙も流したけど、苦しみの涙ではなく、別れる寂しさの涙だ。ガンは確実に、父の命を削った、しかし闘おうとしない父と対峙して獰猛な闘志を失ったようだった。ガンを飼い馴らした、そんな感じだった。



 最後は点滴も受けなかった。機械も繋がっていないから、その時が分からないほどだった。私たちは徐々に遠のく呼吸に耳を澄まして、木陰のうたた寝かと思うような永眠を見守った。



 まだ若く、エネルギーがあれば、闘うことも必要だろう。でも闘わぬ勝利もある。

 

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