非核・反基地の市民運動をまとめ、「横須賀、基地の街を歩きつづけて」を上梓した 新倉 裕史さん 長沢在住 68歳
「平和な未来」への責任感
○…小さなリヤカーに積まれた拡声器。流れるのは、非核・反基地―平和を願う歌の数々だ。毎月最終日曜日、約40年続く恒例のデモは、基地を臨む横須賀湾から歩き始める。拳をあげた糾弾ではない。希望を歌に託し、訴え続ける。
○…「戦後、横須賀は軍転法で『平和』を選んだ。当時の市民の総意は、生かされているのか」―と、穏やかな語り口。活動の原点は、ベトナム戦争だという。平和都市を謳いながら、基地を抱える矛盾。この街で暮らす自分は「どう生きるのか」。ハタチ頃の多感な青年が思いを発する機会として出会ったのが「べ平連」だった。「一人の市民として、声をあげてもいいんだ」。その後、空母ミッドウェイの母港化に関連し、市民グループ「非核市民宣言運動・ヨコスカ」が立ち上がった。訴えかける手段のひとつがデモ。「はじめは道ゆく人への告発という気負いがあった」と振り返る。
○…街が抱える事情は複雑だ。自身の父親や親戚もかつて、基地内で働いていた。市内の雇用・経済を下支えする側面に目をつぶることはできない。だが、定例デモを続けて感じたことがある。「これも横須賀の一面だ」という受け入れに近い眼差しへの変化だ。昨年まで勤務していた印刷会社でも、個人の活動に理解を示してくれた。そして今、原子力艦や安保法制など山積していく問題に「平和な未来を描く中で、基地の存在を問うことは避けて通れない」という思いを強める。デモでの呼びかけはきっかけ。「対話し、”考えること”が、未来をこの街で生きる人に対する責任だと思う」。言葉を選びながらも、その信念は揺らぎない。
○…おもしろく、中途半端―。横須賀をこう表す。首都圏都市部から近すぎず・遠すぎず。少し歩けば広大な自然がある。積み重なった歴史も「意味のある歩み」だと語る。そこにある現実と、どう向かい合うか。小さな動きが「希望」となることを願っている。
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