わたしのまちでいきる 【3】涙の果てに気付いたもの一般社団法人sukasuka-ippo代表理事 五本木愛
この連載では、障がいを持って生まれた娘うららとの歩みから、(一社)sukasuka-ippoのルーツなど、さまざまなエピソードを紹介します。
病院の検査を終え、初めて耳にした「アンジェルマン」という言葉。顔の特徴や水が大好きで身体のバランス感覚が悪いことなど、うららに当てはまっていることに驚きました。そして、一番可愛くて私が大好きな「笑顔」。皮肉なことに、この頻繁に見られる「笑顔」も特性のひとつだったのです。正式に診断が出るまでの間、それは私が生きてきた中で間違いなく一番辛く、苦しい時間でした。アンジェルマン症候群は母方の15番目染色体異常―。これを知った時、すべて母である私の責任とひたすら自分を責め、「なんてかわいそうなんだ」「女の子なのに結婚も子どもを産むこともできないなんて」―とばかり考え、涙というよりも嗚咽が止まりませんでした。
周囲には心配をかけまいと家事も子育てもこなしていましたが、家族が目を腫らした私の様子に気付かないわけがありません。家全体がどこかどんよりとした空気で、2〜3カ月経った頃でしょうか。気が済むまで落ち込み、泣き続けた私の心が少しずつ変化していたのです。というのも、どんな場面でも変わらずニコニコ笑顔を向けてくれていたうらら。こんなに可愛くて、笑顔いっぱいの彼女が、果たして本当にかわいそうなのか? ふと、そう思ったのです。結婚して子どもを産み育てることだけが幸せとは限らない―。問題はうららではなく、無意識に障害を差別的に捉えてしまっている自分自身なのだ、と。 -次回に続く
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