OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第28回 京都編【1】文・写真 藤野浩章
「口ほどにもないお方だ」(第三章)
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外国勢の登場でますます緊迫する幕末。その中で国の主導権を取るには「朝廷を味方にする」ことが最大のポイントだ。この頃、幕府も雄藩(ゆうはん)も、陰に陽に激しい駆け引きを続けていた。
そんな時、帝(みかど)を直接説得するチャンスが訪れる。攘夷(じょうい)を促す勅使(ちょくし)への返答として、将軍・家茂(いえもち)が実に229年ぶりに上洛(じょうらく)することになったのだ。
しかし、京都はまさに攘夷の渦中。家茂は圧倒的な"アウェー"の場に乗り込むため、幕府は議論を重ね、万全の準備で臨んでいた。
この時、小栗が期待をかけた人物がいた。将軍後見職(こうけんしょく)として朝廷と交渉する一橋(ひとつばし)慶喜(よしのぶ)である。彼は小栗の進言通り「国事を幕府に任せるか、政権を返上して朝廷で後始末をつけるか」と二者択一を迫る。
しかし朝廷は「政治は幕府に任せるが、重大な事項は直接各藩に指示することもある」とし、改めて攘夷の実行を幕府に命じたのだ。同行の政事総裁職・松平慶永(よしなが)は反発し辞表を出すが、肝心な慶喜はなんと受け入れる姿勢を示してしまう。小栗らの熱弁に同意していたのに、京都ではこの態度だ。江戸の幕閣は憤慨し、小栗は冒頭のセリフで不満を爆発させる。
そんな中、帝の石清水 八幡宮行幸(いわしみず ぎょうこう)に家茂が随行し、攘夷の節刀(せっとう)が授けられる、という話が飛び出す。もし授かれば、いよいよ攘夷を決行するしかない。寸前で病気を理由に回避するが、朝廷の術中にはまる前に、家茂が京都を脱出しないと大事になるのは明白だった。
小栗はすぐに動いた。それは、周到に準備していた秘策だった。
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