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横須賀・三浦 コラム

公開日:2025.01.10

OGURIをあるく
〜小栗上野介をめぐる旅〜第29回 京都編【2】文・写真 藤野浩章

  • 二条城・東大手門

「内弁慶の後見職(こうけんしょく)、八方美人の総裁。そのようなお方にはついてゆけませぬ」(第三章)



 歩兵大砲騎兵合わせて二千名を率いて京へ上ることで攘夷(じょうい)派に圧力をかけて条約勅許(ちょっきょ)を求めると同時に、家茂(いえもち)を連れ帰る--。実(じつ)を取れ、幕府の権威も示せる画期的なプラン。歩兵と勘定の両奉行を兼ねる小栗だからこそできる奇策だった。

 京都・二条城でこの案を受け取った一橋慶喜(よしのぶ)らは「喉から手が出るくらい時宜(じぎ)を得た企て」と喜ぶが、問題はあった。

 一つは、兵を運ぶのに英仏軍艦の提供を受けることだった。両国は将軍の危機に手を差し伸べたのだが、それが攘夷派を勢いづける可能性があった。加えて、そもそも公武合体を進める手前、帝(みかど)に手荒なことはできないという「大人の事情」も葛藤に拍車をかける。小栗も説得材料を用意するが結局、起死回生の策は却下されてしまう。

 冒頭のセリフはそれを聞いた小栗のものだ。渾身(こんしん)の策が"事なかれ"の考えに押し潰されていく現実。しかし国家的な危機にあっては、とても我慢できることではなかったのだろう。彼は歩兵奉行を罷免、勘定奉行は自ら辞職して幕閣を退いてしまう。

 ちなみにこの案は後に実行されることになり、小栗が密かに知恵を授ける場面がある。彼の計画通り攘夷派に衝撃を与えるのだが、今度は慶喜の変心で肝心なところで頓挫(とんざ)してしまう。幕府の崩壊がいよいよ現実味を帯びる重大局面だ。

 しかし、小栗は諦めていなかった。この後、いよいよ彼が夢見る国家的プロジェクトが産声を上げる。その舞台はもちろん、横須賀だ。

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