横須賀・三浦 コラム
公開日:2025.02.21
OGURIをあるく
〜小栗上野介をめぐる旅〜第35回 横浜編【2】文・写真 藤野浩章
朝6時に駿河台(するがだい)を出た小栗は、東海道を駆け抜け、昼前に神奈川宿(しゅく)に、次いで野毛(のげ)坂の神奈川奉行所に到着した。小栗の手綱(たづな)裁きは有名で、八里(約30キロ)をこの時間で走るのは相当な速さだったようだ。
「やあやあ、お早いお着きで。噂どおりの蹄(ひづめ)の音で、又一(またいち)どのとすぐ分った」。そう言って彼を出迎えたのは、栗本瀬兵衛(せへえ)。彼は医官出身ながら、箱館(はこだて)に左遷されたことがきっかけで才能が開花し、ついに幕府の要職に就いていた。
横浜に着いたばかりの小栗は早速、海へ出る。小舟で向かった先には、一隻の幕府船があった。
翔鶴(しょうかく)丸--アメリカから勝海舟の見立てで買い入れた中古船で、将軍・家茂(いえもち)上洛の際にも使用された。しかし、建造7年の割に購入直後から故障が多く、栗本はちょうどフランスに修理を依頼していたのだ。その様子をまず見てから交渉するのはどうか、という提案を受け、小栗は横浜へと向かったのだった。
「それで修理費は三千ドル。以前、他の船で同じような修理をイギリスに頼んだところ、三ヶ月もかかった上に一万ドルも請求されたそうな」。栗本の説明を聞きながら、小栗は船底まで降りて、機関の故障を60日で完璧に修理した様子を詳細に見たという。
7万ドルで買った船が、例えば英国なら修理に1万ドルかかってしまう現実。小栗は、自前の造船所造りをますます決意したに違いない。
フランスによる丁寧で安価な修理を目の当たりにした彼だったが、課題は多かった。その1つは、彼らが本当に日本に協力するかどうか。そのキーマンに会いに、2人はある寺へ向かう。
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