OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第44回 横須賀編【10】文・写真 藤野浩章
「要は、造船所建設を実現することでござる。そのためなら、この首などなんでもないこと。なにしろ馘首(かくしゅ)には慣れておりますからな」(第六章)
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馘首という言葉が出てきてドキッとするが、これは解雇、免職のこと。製鉄所建設に関する最終決定の段になって、当の小栗が勘定奉行を罷免されるという事態になった。当時39歳。思えばこの頃から彼は歴史の表舞台に登場していくが、その高い能力のせいか、あちこちで軋轢(あつれき)が生まれることになる。
一部の幕臣で進めてきた製鉄所建設だが、最終段階で公になると、想定を大きく超える批判が巻き起こる。
そもそもの必要性、建設場所、金額--そのほとんどが小栗を名指しした批判だったという。中でも大きかったのが「なぜフランスなのか」ということ。前述の通り、今回は半ば消去法だったわけだが、その過程を知らずに「小栗のフランス狂い」「賄賂(わいろ)をもらっている」などという声が多発するのは、時代を超えてどこでもありそうな話ではある。何より「海軍はイギリス」というプライドを大きく傷つけられた英国と、幕府を敵視する薩摩、長州にとっては小栗憎し、という状況で「"じゃんこ"(筆者注・あばた顔)など、早く罷免させるべし」という声が強まっていく。これらは、後に起こる悲劇に少なからぬ影響を与えたはずだ。
小栗は冒頭のセリフのようにまったく意に介さず、むしろ無役ながら精力的に製鉄所づくりに取り組んだ。
ところが、幕末の状況が彼にさらなる試練を与えていく。時代が小栗を再び舞台に呼び戻す。
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