横須賀・三浦 コラム
公開日:2025.11.14
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第20回 文・写真 藤野浩章
「よし。日本の最高の役人と会うためには、まずこの地の高官と会わねばならぬと言うべ。そして俺が...俺がこの地の副奉行だとな」(第一章)
◇
三郎助と通詞(つうじ)の堀が乗った奉行所からの一番船は、高速で黒船に向かう。すでに無数の固船(かためぶね)が手順通りにびっしりと張り付き「どれもが驚くほど巨大で、周囲に群がった固船が巨鯨のまわりで遊泳するイルカのように見えた」と本書では表現している。
それもそのはず、三郎助は将旗を掲げるサスケハナ号の大きさを瞬時に「優に四十間(けん)(72m)はある」と見積もったが、乗っている警備船は長さ四丈(じょう)(12m)。ここにいきなり乗り込んで行くのは、相当な勇気が必要だったろう。
ところでこの警備船に使われている「押送(おしょくり)船」は八丁櫓(はっちょうろ)、つまり左右に4本ずつの櫓を備えたもので、当時鮮魚の輸送によく使われていた。
この頃、江戸では人口が増え「鮮魚」の需要が急増していた。しかし冷蔵設備が無いため、いかに新鮮なうちに魚を日本橋へ送るかが勝負だったのだ。例えば三崎からは20本ほどのマグロを載せて昼前に出発し、浦賀での積荷検査も特別に免除され、屈強な男たちが絶え間なく漕いで翌早朝に江戸へ。その漕ぎっぷりは今の千円札の裏にも描かれているが、こうした営業努力が"三崎のマグロ"ブランドを育てて行くことになるのだ。
そんな押送船は黒船が備えるカッター船より速かったという話があるが、ついに三郎助は黒船に乗り込んだ。そして一世一代の「方便」を繰り出す。命を賭けたと言ってもいいこの一言が、歴史を動かしていく。
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