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三浦 コラム三浦の散歩道

公開日:2014.12.05

三浦の散歩道 〈第73回〉
みうら観光ボランティアガイド協会

  • 円通山蓮乗軒

 原の稲荷神社の下を流れる「狭塚川」は、畠のある台地を回わるように遡上して、三浦三十三観音の第三番札所である「蓮乗軒(れんじょうけん)」の前に至っています。



 「蓮乗軒」は、山号を「圓通山」と号す臨済宗の観音堂で、恵心僧都が一刀三礼して彫ったと言われる「如意輪観世音」が本尊として信仰されています。この観音さまは、観音(衆生の音声を観(かん)=感(かん)じたまう仏さま)が如意宝珠(にょいほうじゅ)の心を一事に集中して動かない三昧(さんまい)に入った姿を現したものと言われ、財宝を求める増益の本尊であると共に、良縁・子授け・安産の祈りなどの尊像として信仰されています。その姿も柔和で、女性の徳を表現したものが多いと言われています。



 二十八段の石段を上がった正面に、お堂があり、「三浦札所第三番 円通山 蓮乗寺 如意輪観世音菩薩」とあり、左に、「さとをいでのをすぎ原の観世おんみち引きたまへとをきらいせを」の御詠歌と「東京深川扇橋町二ノ八 材木商施主斉藤夘兵衛」と書かれた奉納額が向拝の上に掲げられています。



 お堂の手前右側は墓地になっており、左側には六道地蔵が祀られています。その地蔵さま六体にピンクの前垂れが掛けられ、赤い毬(まり)のような玉の付いた飾り様のものが首に巻かれていて、いかにも、カワイイと言える姿です。その横にある手洗い鉢に彫られている龍などの姿は見事なものです。無住のお堂ですが、手洗いもあり、境内はきれいに清掃されています。地区の方々が、よく気を配っておられるのでしょう。  お堂の脇に説明板があるので読んでみましょう。「戦国時代三崎の油壺にある新井城は新興勢力である伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ三年の長きにわたる籠城の末永正13年(1516)七月十一日落城しました。城主の三浦道寸嫡男の荒次郎義意(よしおき)をはじめ家臣一族郎党は果敢に戦いましたが力及ばず四百五十年間続いた相模の名門三浦一族は滅亡しました。



 三浦道寸の奥方(横須賀連秀(つらひで)の娘)は落城の際に道寸の家臣である川島吉隆(よしたか)に守られて川島氏の治める、この原の里に身を隠しました。三浦一族が滅んだあと奥方は剃髪して仏門に入り、夫や息子彼らとともに散った三浦一族の冥福を祈ってこの地に庵を結び隠れ住みました。『新編相模風土記稿』では蓮乗軒は川島吉隆が創建し享保4年(1719)に没した東瑞という僧が中興したと伝えています。その後、蓮乗軒は原の里の人が何代にもわたって守られて今日に至っています。恵心僧都の作といわれる本尊の如意輪観音は道寸の奥方の守り本尊であったと伝えられており、蓮乗軒がここ原町にあることから『原の観音様』と呼ばれて親しく信仰されているとともに、安産の守護としても土地の人たちから尊ばれています。「三浦道寸研究会調べ」とあります。



 なお、御詠歌も記されていますが、奉納額の歌と異なっていますので割愛させていただきました。つづく

 

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