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三浦 コラム三浦の散歩道

公開日:2015.12.04

三浦の散歩道 〈第96回〉
みうら観光ボランティアガイド協会

  • 宝徳寺にある「義勇奉公」の碑

 光照寺から友澄碑のあるあじさい公園の下まで戻って、左へ曲がり、三十メートル程の右側に「宝徳寺」があります。「寂静山」と号す浄土真宗、西本願寺派のお寺です。古(いにしえ)は天台宗でしたが、文正元年(1466)に改宗したと言われています。本尊は阿弥陀如来です。



 この寺の入口を入ったすぐ右側、道路を背にして、大きな石碑が見られます。上部に「義勇奉公」と彫られています。その下の文面に、「三上惣治郎君表忠碑」と表題された文面があり、その内容は次のとおりです。



 「君ハ三上長吉氏ノ長子(長男)ニシテ明治三十年五月八日本村三戸二三三六番地ニ生(うま)ル資性(しせい)明敏ニシテ忠実篤(とっ)厚(こう)(人情の厚いこと)兼テ義勇ノ精神ニ富ム夙(つと)ニ初声消防組消防手トシテ火災警防ノ重任ヲ帯(お)ヒ十有七年良ク其(その)任ヲ全(まっと)ウシ昭和四年八月十八日午後三時五十分下宮田大原地先(さき)ニ於(おい)テ遂ニ其(そ)ノ職ニ殉(じゅん)ズ洵(まこと)ニ稀有(けう)ノ善行ニシテ世ノ模範トスルニ足(た)ル仍(よっ)テ其(その)功績ト義烈(ぎれつ)(正義を守る心の強烈なことの意)ノ行為ヲ後毘(こうひ)(後の世代)ニ伝ヘンガ為(ため)ニ田中初声消防組頭長谷川三崎消防頭其他有志ト相諮(はか)り茲(ここ)ニ本碑ヲ建設ス



 昭和五年十月十八日



 発起人総代神奈川県消防協会」とあり、高さ約二メートル程、巾約八十センチの碑で、熔岩の台座の上にあります。



 碑の裏面、道路側にも、「副会長 小暮藤三郎/横須賀組頭 小暮藤三郎/〃三崎組頭 長谷川嘉兵衛/初声村長 河田伸三郎 同組頭 田中兵三郎/同副組頭 山本泰次郎 同 長島次郎吉/同 小頭一同/神奈川県消防協会 三崎支部」とあります。



 これは、碑文にありますように、昭和四年八月十八日に天皇が油壷にお成(な)りになったとき、警備をしていて殉職したというのです。当時、三戸の地に「御用邸」と造(つく)る計画のあった年でもあって、皇室に対する関心度も高かったのでしょう。殉職された「大原」の地は国道一三四号線が通っている現在、消防署のある辺りであろうと思われます。また、碑文にある「三上姓」は、この谷戸上区に多くの方々が住んでおられるようです。



 道を「つつじ公園」の下まで戻り、左へと進み、倉庫の所まで歩きます。かつて、昭和四十二年当時には三浦市指定の天然記念物であった「さいかちの樹」がありました。それは立派な樹木でしたが、現在では見ることができません。ただ、この付近に神社があったのでしょうか、祭礼用の遺物でありましょうか、勾(まが)玉・管(くだ)玉・土師(はじ)器などが出土しているとのことです。



(つづく)

 

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