三浦の散歩道 〈第103回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
「延寿寺」には、三浦市の文化財に指定されている古い「鰐(わに)口(ぐち)」があります。鰐口とは神社や寺院の向拝(こうはい)(拝殿の正面に張り出した所で、参拝者の礼拝する所)の天井に吊(つ)るしてある丸い青銅製のもので、その形が鰐の口に似ているので、この名がついているのですが参拝のとき、これを打って音をたて、神霊や仏の霊を呼ぶ「打楽器」です。ここのものは直径24・5cmのもので、裏に「上総国周西郡貞元郷羽黒神前鰐口」とあって、「永享七(1435)年」の銘があるとのことです。かつて「上総国」である千葉県から調査に来たが、不明のまま帰ったということですが、古いことでは県下でも屈指のものであると、浜田勘太氏は『初声の歴史探訪記』に記しておられます。
「延寿寺」を出て、「黒崎工業」の所を右へ折れて歩くこと六十mほどの右側に、やゝ広い所が「実相寺」の入口になります。右手に「歓喜山実相寺」とある下に「二十三世嗣法遠寿院日東」とあります。また、向かって左側の名号塔に、「宝暦十二(1762)」年壬午歳十月」と記され、裏面に「奉拝二千ヶ寺修石渡戸伊右衛門」・「奉往五千ヶ寺成就供養宝塔也」・「奉詣三千ヶ寺唱題目千龍石渡戸喜兵衞」の文字が三列に刻まれています。お題目を上げながら三千ヶ寺や五千ヶ寺を巡拝された大変な修行であったと思われます。筆子註「石渡戸…」とあるのは「石渡屋」の略ではないかと思います。
入口をさらに奥へ進むと、右手に「実相寺の七面天女」と大きく書かれた表示板があり、それには次のように書かれています。
「本寺は歓喜山実相寺といい、日蓮宗で開山は日胤上人です。寺内には七面天女が祀られております。この七面天女は、徳川八代将軍吉宗公(一七一六〜一七四五年)の母堂順正院様の祈願に霊験をあらわしたということで、大切に祀られていましたが、後に藤枝若狭守に遣(つか)わされ、更に東京谷中(やなか)の日蓮宗宗林寺に納められました。
この宗林寺の僧、日巡が宮田在住の猪熊安清と歌道の友として、じっ懇の間柄で、一日宮田湾の風光に接し、美しい波島に遊んだとき、この島に七面天女を安置することがふさわしいと考え、安清の許しを得て、正徳五年(一七一五年)三月九日、島に一宇を建て、勧請したと伝えられています。また言い伝えによりますと、昔、時化(しけ)のとき、この波島に大蛇が流れつき、この大蛇を見た人は病気になったともいわれたが、天女勧請以来、病気や災難除けの為に七面天女に祈願して幸福を得たと伝えられ、開運七面天女と尊称されております。七面様の縁日は毎月十九日で、近郷からのお参りで随分賑ったということです。波島がこの実相寺の寺領だったので、大正年間に寺門に移し祀られました。 三浦市」と説明されています。
境内に「七面大明神」と書かれた石塔が建っているとのことです。(つづく)
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