三浦版 掲載号:2016年11月18日号 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第119回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

掲載号:2016年11月18日号

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赤辺稲荷の堂宇
赤辺稲荷の堂宇

 「円徳寺」の境内に「赤辺稲荷社」が祀られています。立派な鳥居と朱塗の社殿です。堂宇も昭和二十七年に再建されたと言うことです。

 『初声の歴史探訪記』(浜田勘太著)の中に「赤辺稲荷の再建趣旨書」を紹介しています。興味ある文言なので全文を取写させて頂きました。

 「当山に御安置申上げて居ります赤辺稲荷大明神は大乗寺の白辺稲荷様、黒崎稲荷様と共に三浦の兄弟三稲荷として今から約六百年前に当山開祖九老僧阿闍梨日範上人によって勧請せられました。法華守護の大善神であります。

 この赤辺稲荷はその三兄弟の長兄でありまして明治の中葉の頃迄は赤谷の地に鎮座せられ、漁の神様、腰から下の病の神様として広く知られ常に参詣者の絶え間なく、殊に正、五、九月の大祭には参拝者雲集し、漁船は波島の入江にヒシメキ、露店茶店は軒を並べその賑やかなこと此の半島で指折りのお祭でありました。

 然るに何れの頃か赤辺様の御神体が消え、土地の人は『赤辺様は出征なされた』といい伝えて居ります。それからはその神力も次第に衰え、遂に大正七年(1918)白旗神社に合祀されましたその後村人がその跡を慕って再建した。」というのです。

 この文の中に登場する「三浦の兄弟三稲荷について内海延吉氏の著書『三崎郷土史考』(昭和五十年四月発行)に次のような文が載っています。

 「稲荷は『いねなり』のつづまったものか、『いなに』の転呼かの両説があるが、何れにせよ田の神の信仰であり、日範上人が稲荷を祀ったのは、この庶民の信仰を日蓮宗と結びつけようとした教策であったことは否めない。(中略)赤米(あかめ)は収穫したままの米、黒米(くろめ)は玄米、白米(しろめ)は精白米と三つが一つの系列に順序づけられる。三崎の白壁(しろべ)稲荷は白米稲荷の転呼。」とあり、カッコ書きで(この社の鳥居の額に城辺稲荷と書いてある。城山の辺にある稲荷だから成程とうなづく人があるだろうが、こう勝手に古典を曲げられては困る。)と記されています。

 なかなか、おもしろい説ではありますが、稲荷建立に関しては米の様(さま)ではなくその土地の姿や人々の生活と結びついての建立であろうと思われます。さすれば、「赤辺稲荷」は「赤谷」の辺(あたり)に建てられたものであり、「黒辺稲荷」は「黒崎」の地に根づくものであり、「城辺(白浜)稲荷は三崎城(城山)の「辺(へ)り」に存在するからでありましょう。余り深く考えず、単純な見方で参りましょう。それにしても「三兄弟の稲荷」を米の様相として見るのも、一興です。

 散歩の無事を「赤辺稲荷社」に願って「長浜」へと向かいます。

(つづく)
 

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