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東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜 文・日下部順治その3 団勝磨のメッセージの行方【2】と生い立ち

掲載号:2017年10月6日号

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 既出の日米海洋学者の友情物語は、タイム誌の記事を引用する形で、日本でも雑誌「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載されました(後日紹介)。

 また、昭和天皇は、学習院初等科時代に三崎臨海実験所で海洋生物に触れることになり、そこから発した一枚の文書がアメリカのウッズホールの研究所に飾られているわけですから、ご覧になって、感慨深いものがあったものと察するところです。

■  ■  ■

 さて、ここで団勝磨の生い立ちを少し紹介しておきましょう。

 勝磨の父『団琢磨』は、福岡藩士の家に生まれ、同藩の団尚静の養子となります。明治四年(1871)、数え年で14歳の時に岩倉使節団に随行。同乗者だった伊藤博文、津田梅子、大山(旧姓・山川)捨松らとともに、アメリカ号で横浜港から渡米しました。

 それから彼は七年間ボストンにとどまり、名門マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業しています。帰朝後、三井鉱山の業績を拡大させた実業家として名を成すことになり、要職を歴任。三井財閥の指導者となりました。

 しかし、昭和七年(1932)。政治不安を背景にした昭和金融恐慌が起こり、右翼活動団体、いわゆる「井上日召(にっしょう)血盟団(けつめいだん)」の連続テロ計画によってピストルで暗殺されてしまうのです。73歳でした。

 『団勝磨』は、この家系の下で明治37年(1904)、次男として東京府(現・東京都)で生まれました。ちなみに実業家、政治家、美術史学者として活躍した『団伊能』は実兄にあたります。

 青山学院中等部―水戸高校―東京帝国大学(現・東京大学)理学部動物学科へと進んだ勝磨は、卒業後、実業界へは入らず昭和四年(1929)にアメリカに留学します。留学先は、フィラデルフィアにあるペンシルベニア大学の大学院、海洋発生研究の大家で知られるハイルブラン教授の研究室でした。ここで後に大きな功績を残すこととなる、ウニの卵の発生の研究に取り組むことになります(この研究は三崎の地でも続きます)。

 昭和七年三月五日、父・琢磨暗殺のニュースはアメリカでも報じられ、とある銀行家が第一報を勝磨に伝えました。この銀行家は、勝磨の心境を懸念し、自宅に一泊させたそうですが、勝磨は、ドクターコースを何十単位も取っていたため実習もあり、悲しみの時も無く、帰国できる状態にもなかったといいます。

 この後、同研究室で運命的な出逢いが起こります。生涯の伴侶となる、アメリカ人研究者『ジーン・クラーク』との出逢いです。

(つづく)
 

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