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東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜 文・日下部順治その7 団一族と太平洋戦争の終結

掲載号:2018年2月9日号

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 昭和20(1945)年8月15日、太平洋戦争終結の詔勅が下ります。団ジーンはその報を、箱根仙石原の疎開先で聞きました。その田舎家の母屋には、勝磨の兄・団伊能がやはり疎開しており、伊能はジーンに、「Congratulations」(注「おめでとう」の意)と言って手を差し伸べました。この瞬間は、ジーンにとってまさに「おめでとう」でした。

 そして、伊能の長男である団伊玖磨も、横須賀基地の軍楽隊を早々に離脱。仙石原に夜半辿り着き、灯りのついているジーンの家の戸を叩いています。

 余談になりますが、団一族は、暗殺された三井財閥の大番頭・団琢磨をはじめ、多くは経済界や産業界で名を成しています。伊玖磨のように音楽の道に進むことは、異色のことでした。彼は、団勝磨・ジーンの叔父夫妻に多くの影響を受けたと言っており、のちに、日本を代表する作曲家として活躍。クラシックや童謡、映画音楽などのほか、三浦半島にある学校の校歌や市町歌も手掛けています。

 一方で勝磨は、敗戦の玉音に横須賀市長井の自宅で接します。長井の自宅は古い農家を譲り受けたもので、900坪の敷地と二階に洋館を付け足した広い建屋でした。

 この家の四部屋には戦争末期、将校を中心にした兵士達が滞在していました。記録によると「海軍特別陸戦隊本部」という表現があります。これでは海軍か陸軍か分かりませんが、当時、軍には三浦半島に敵前上陸の恐れがあるとの認識があり、その備えでした。勝磨の自宅からは、相模湾を見通すことができた点(現在は建て混んで無理ですが…)、また、東大実験所は既に海軍基地に転換されていたことからも、彼等は、特殊潜航艇の乗組員を含む、海軍の本土決戦要員ではなかったかと推察されます。

 この状況下、勝磨の身にもスパイと敵視する人や、「殺してしまえ」とする声もあり、滞在している士官からも立ち退きの圧力がかかるなど不穏な空気が充満していました。

 8月13日には東大での講義のため上京。翌14日、親類の海軍将校から「もうダメだ」との情報を聞きます。このとき、勝磨は終戦を確信しました。

 その夜、帰宅した勝磨に「明日、重大放送があるそうなので、お宅のラジオで聞きたい」という旨の要請が将校から入ります。戦隊本部のラジオは、全部壊れていたのです。団家のたった1台のラジオの前に勝磨は正座し、将校や兵士達は窓の外に並びました。そして、玉音放送が始まりましたが、雑音が入って聞こえません。ただ、その後の鈴木貫太郎首相のポツダム宣言受託の説明は、よく聞こえていました。

(つづく)
 

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