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東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜 文・日下部順治その8 戦争終結とその後の2人

掲載号:2018年3月9日号

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 雑音のため聞き取れなかった昭和20(1945)年8月15日の玉音放送。戦争終結を認識できた人はほとんどおらず、ソ連に対する宣戦布告という誤解さえ生じました。軍関係者も国民もそのことを理解したのは夜7時のNHKのニュースで、事態は明白でした。

 前述へ戻りますが、ラジオの玉音放送を聞いた後、勝磨は庭へ下り、静かに芝生の草刈りを始めたと言います。本郷の東京大学では、勝磨の教え子である農学部の学生、小野(後に夭逝)と遠藤善之が横須賀線で長井へ駆けつけた時、まだ自宅には海軍士官が滞在していました。勝磨は2人に「君たちは『助かった』などと言いながら、ニコニコして入って来たぞ」と揶揄し、不測の事態を懸念して寝室に隔離したのです。7時のニュースを聞いた士官たちは、「これからはどうぞ皆さんにお願いします」と沈痛な表情であいさつし、去って行きました。

 翌朝、箱根へ急いだ勝磨。久しぶりに会うジーンは少しやつれたものの、顔には心の底からの笑みが浮かんでいました。夜半を通して話が弾み、なるべく早く三崎の”海”へ戻ろうと決意。しかし、「新しい激変した周囲の事情」はジーンをどうしても必要としたため、「Ask Jean」(訳・ジーンに頼め!)の本領を発揮し、これに応えることにします。夫妻は同年10月に長井へ戻り、5人の子供たちと一緒に暮らせるようになりましたが、”海”―東京大学三崎臨海実験所―へ戻るのは、かなり先のことでした。

 進駐軍との関わりで、横須賀周辺の人々にはジーンは、重要なかつ恰好な存在でした。学府へ戻る前、必然的に社会活動家として、また教育者として歩み出すことになります。それは、【1】地元の要望に応える農地接収の阻止であり、

【2】米軍放出物資の廃品(残飯ほか)工場の設立と運営であり、

【3】その工場で働く婦人たちを中心とした婦人会授産所の結成であり、

【4】婦人会運営の保育園設立などにつながっていきます(保育園は現在も隆盛です)。

 ジーンの行動力は、進駐軍と渡り合い、マッカーサー司令部へ乗り込むなど遺憾なく発揮。進駐軍との折衝場面でもさまざまな戦略を策し、もちろん勝磨もこれを応援しました。

 このように国籍を超えた日本人への貢献と、地域復興に尽くす信念と行動力があったのです。これにとどまらず、この後もジーンは昭和天皇の生物学にかかわる英文論文の監修や英訳した「原爆の子」を米国で刊行することに奔走しており、日本を支援する強い意志がありました。

 ジーンは終生、日本の悪口を言うことはありませんでした。

(つづく)
 

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