三浦版 掲載号:2018年6月22日号 エリアトップへ

連載 第18回「海上交通のこと【1】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2018年6月22日号

  • LINE
  • hatena
現在の間口港
現在の間口港

 「京急電鉄」が創立百二十年を迎えるとのことですが、「三浦海岸駅」まで開通したのは、昭和四十一(1966)年のことです。それまでは、「京急久里浜駅」からバスが「岩井口」まで、通っていた、とのことです。

 江戸時代はさておき、「文明開化」後の明治期の交通はどうだったのでしょう。北原白秋の詩に「お前三盛丸霊岸島通いいつも夜出て昼帰る。」がありますが、「三号三盛丸が月島の造船所で進水したのは(明治)三十一年、総屯(とん)数百三十五屯九、幅が広く吃水は二号の倍以上もあって、東京湾航路の最優秀船だった。」(『三崎町史』上巻)とあります。

 当時の航路は「三崎―東京」の直航と、各所「三崎―松輪―金田―津久井―浦賀―東京」の二通りで、陸上交通の不便さを大きく補っていたようです。

 大正五(1916)年に作られた『杖の跡』(大町桂月著)の「松輪紀行」の中に、次のような文章があります。

 「旅費や食費の廉(れん)(廉価のこと)なることも考ふべきこと也(なり)。」とあって、「三浦半島」の松輪へ海水浴に出かけたのです。さらに「東京の電車賃往復九銭は天下の至廉也。東京三崎間の汽船賃二十銭は、それよりも更に至廉也(しれんなり)。」と、至って安い値であるとしています。さらに、文は続きます。「午前七時二十分発の汽船は、三崎に直航し、午前七時発の汽船は、途中浦賀、下浦、金田、松輪に帰航す。義甥、義姓、山神(奥さんのことか?)、豚児(吾が子をこのように言っている)五人、都合九人にて、この午前七時発の汽船に乗りけるが、発船の時刻は、一時間も遅れたり、風あれども、浪は起たず、船は殆(ほとん)ど動揺せず、如何(いか)にと気遣(きづか)いし義甥、山神も、船運にもかかわらず、午後二時頃、松輪の小字(こあざ)間口といふ処に上陸して、一農家を間借りすることとせり。」(後略)とあります。

 この文章の内容から、東京の「霊岸島」(現在の中央区新川という所で、かつて江戸初期に「霊厳寺」が建立されたことから「霊岸島」と呼ばれていた。とのことです。隅田川の河口に当たる所でもあります。)を、一時間遅れの、午前八時に出航して、午後の二時に「松輪」に到着していますから、「六時間」の船旅、だったのです。なかなか悠長な旅だったようですね。また、面白いことに「奥さま」のことを「山の神」と称しています。さすれば「亭主」は「宿六(やどろく)」とでも云うのでしょうか。

 現在の松輪、「間口港」は、「つり船」も多く、にぎわっています。

(つづく)
 

三浦版のコラム最新6

世界一の素敵親子をめざして

連載15

世界一の素敵親子をめざして

文・家庭教育支援チーム「はっぴー子育て応援団」

5月29日号

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

連載

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

三浦市社会福祉協議会 成田慎一

5月29日号

三浦の咄(はなし)いろいろ

連載 第59回「油壷のこと【3】」

三浦の咄(はなし)いろいろ

みうら観光ボランティアガイド 田中健介

5月29日号

第7回 竈(かまど)の神も嫌う「トベラ」

三浦半島 草花歳時記

第7回 竈(かまど)の神も嫌う「トベラ」

文・写真 金子昇

5月15日号

三浦の咄(はなし)いろいろ

連載 第58回「油壺のこと【2】」

三浦の咄(はなし)いろいろ

みうら観光ボランティアガイド 田中健介

4月17日号

世界一の素敵親子をめざして

連載15

世界一の素敵親子をめざして

文・家庭教育支援チーム「はっぴー子育て応援団」

4月17日号

あっとほーむデスク

  • 3月20日0:00更新

  • 2月21日0:00更新

  • 2月7日0:00更新

三浦版のあっとほーむデスク一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

三浦版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2020年5月29日号

お問い合わせ

外部リンク