三浦版 掲載号:2020年2月21日号 エリアトップへ

連載 第56回「三戸から小網代へ」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2020年2月21日号

  • LINE
  • hatena
小網代側から三戸を望む(現在の姿)
小網代側から三戸を望む(現在の姿)

 「三戸」の地に宿泊した川上眉山は翌朝に寝覚めたことを次のように記しています。

 「日の影襖(ふすま)を洩(も)るるに驚き、跳(とび)起きて海を望む(見る)に、心なき雲幾重(いくえ)見渡す方を残りなく遮(さえぎ)りて、波より外(ほか)に何も見えず、風はならひ(冬の寒い風)に変りて、寝起(ねおき)の肌膚(はだえ)いと寒し。」と記し、その後、「舟路を油壷に」行こうとして宿(やど)を出ます。宿を出た後(あと)、三戸の地について、「起伏したる通(みち)を行く事少時(しばし)、路傍(ろぼう)に椿落ちて、いささ(ほんの小さな)むら竹(むらがってはえた竹)、左右に繁(しげ)き処(ところ)を過ぎ、村を出でて畠に入り、畠を出でて小山に入る。」とあり、その間、「藻屑を籠に盛りて背に負(お)へる少女(をとめ)に遇(あ)ふことしばしば」とあって、少女に「そ(それ)を何にするぞと問へば、畠の中へ突捏(つきこ)ねまするといふ。一群また一群、我が足早ければ、皆はるかに後(しりへ)にして行くに」。眉山は道に迷ってしまい、海を渡る場所がわからずに困っているときに、「十四ばかりの少女一人、例の藻屑を負うて脇の小径(こみち)より来る。」の出会います。少女は手拭(てぬぐい)を引っかぶっていたのですが、その姿に、眉山は、「端(はし)より洩(も)るる黒髪すぐれて艶(つや)やかに、瓜実(うりざね)顔の口元愛らしく、鼻筋通りて、黒味勝(くろみが)ち目の美しさ言(い)はむ方なし。」と述べ、その少女と言葉を交わし、途(みち)を尋ね、たがいに笑顔で別れて道を下ると、ようやくにして渡津(わたし)の場所に着いたのでした。そこは「三戸村の入道込から小網代の西の台に至る港巾(はば)は約325m程となります。

 小網代と三戸の間に渡船が始まったのは明治十六(1883)年のことで、『三崎町史』によりますと、県への「渡船開設願」を提出した理由について、次のようにあります。

 「三崎町ヨリ長井村ニ達スル間道ニシテ本道ニ比較スレバ凡(およそ)十八町(約1960m)」も短縮されるので、海を渡れるように求める人もある故(ゆえ)に開設したい旨(むね)を記しています。渡船の時間は、午前六時より午後十時までとし、渡船代金は、一人分が三厘(りん)(一厘は一円の千分の一)で、夜になると八厘となり、海が荒れ風波のある時は一銭(せん)五厘と値上がります。

 眉山が渡津(わたし)に至った時、「舟子(かこ)我が来るを見て棹(さお)を突立てゝ待つ」とあり、「三戸の浜を後に入江を横切りて、対岸近く小網代に着く。高きに登りて一たび振返れば、江は足元に三戸の崎黒崎荒崎皆歴々(はっきりと見える様子)として指(さ)すべし。」と述べて、「我は処(ところ)定めぬ旅客なり」として、彼(か)の少女と別れた松原近くを眺め、「その人はいづこ」と望めども見えず。明日は遠く離れてしまうことを嘆くのであった。

(つづく)
 

三浦版のコラム最新6

三浦の咄(はなし)いろいろ

連載 第66回「三浦古尋録その【5】」

三浦の咄(はなし)いろいろ

みうら観光ボランティアガイド 田中健介

9月11日号

第11回 外来種「アメリカネナシカズラ」

三浦半島 草花歳時記

第11回 外来種「アメリカネナシカズラ」

文・写真 金子昇

9月11日号

世界一の素敵親子をめざして

連載19

世界一の素敵親子をめざして

文・家庭教育支援チーム「はっぴー子育て応援団」

8月28日号

三浦の咄(はなし)いろいろ

連載 第65回「三浦古尋録その【4】」

三浦の咄(はなし)いろいろ

みうら観光ボランティアガイド 田中健介

8月28日号

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

連載

100まで元気!健康ワンポイントアドバイス

三浦市社会福祉協議会 成田慎一

8月28日号

第10回 小野嵐山も愛用した?「ハマゴウ」

三浦半島 草花歳時記

第10回 小野嵐山も愛用した?「ハマゴウ」

文・写真 金子昇

8月7日号

あっとほーむデスク

  • 9月11日0:00更新

  • あっとほーむデスク

    8月28日0:00更新

  • 8月7日0:00更新

三浦版のあっとほーむデスク一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

三浦版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2020年9月11日号

お問い合わせ

外部リンク