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三浦 コラム

公開日:2020.08.07

連載 第64回「三浦古尋録その【3】」
三浦の咄(はなし)いろいろ
みうら観光ボランティアガイド 田中健介

  • 白髭神社境内の金鳴石

 「三浦七石」のうち、「網代金鳴石」と記されている石があります。



 書の中には「鎮守白髭明神」とあって、「此(この)明神ノ社ノ下ニ石有(あり)、小石ヲ以叩(もってたた)ク時ハ其音金(そのおとかね)



ノ如シ」と書かれています。その横に、「奇石」と記され、以下の表現が、漢文で記されています。



 「『神祠ノ下ニ奇石アリ、ソノ色ハ潤沢(じゅんたく)玉ノ如シ、之(これ)ヲ叩(たた)ケバ則(すなわち)金声ヲ発揚(はつよう)ス、実(じつ)ニ世ニ希(まれ)ナ物也(ものなり)。盖(けだし)(思うに〜だろうの意)海舶(海を航行する大船)所載シ来タル者云(ものうんぬん)』菅時憲」とあります。



 また、「孤石竜祠下(こせきりゅうしか)」とあって「人ヲ驚ス奇怪哉(きっかいかな)」とも書かれています。



 さらに、宝暦六(1756)年に書かれた『三崎誌』(鶯丘舎(おうきゅうしゃ)草也著)の中、「木石」の項目に「鈴石」とあって、次のように記されています。



 「小網代村白髭神社ニアリ、昔西国(さいごく)ノ船此(ふねここ)ニ泊(とま)ルコト数日、順風ヲ得ガタシ因テ此石ヲ神ニ献シ祈リケレバ忽(たちまち)風ヨクナリ、舟ヲ出セシト云伝(いいつた)フ、誠(まこと)ニ奇石ニテ是(これ)ヲ打(うて)バ金鉄ノ声ヲナスナリ」とあります。「金鉄ノ声」を「鈴」と称しているのでしょう。



 ほかに『三崎郷土史考』(内海延吉著)の中に、「当社の祭神中筒之男命(なかつつおのみこと)は住吉(すみよし)神社祭神の一つで、海上安全の神であることは、この宮の磐石と呼ぶ石にまつわる伝説と共に、この港が廻船寄港地三崎の避難港として発達した性格を語るものである。』と書かれ、『相模風土記』を引用されて、次のようにも記しておられます。



「白髭神社、村の鎮守なり、神本束帯の木像なり、床下に磐石と呼ぶ石あり、長五尺(1・5m)、周囲径三尺余(約90cm)是(これ)をたたけば音あり」と。



 また、明治三十四(1901)年の「役場文書綴」を引用して次のようにも記しています。



 「鳴石、此の石は滑らかにして飴色の石なり。是(これ)を叩けば軽く音あり、山谷に響く。攝津(せっつ)(現大阪府と兵庫県の東南部)の国の廻船祈願の事ありて納むと云ふ床下に置く」とあります。



 話によると攝津の廻船の錨石(いかり)(昔は十字形の木のその一つにあたる横棒に石を結んでいた、と言うのです。)、この船が小網代港に避難し、出帆しようとして、白髭神社に伺(うかが)いをたてたところ、この石を明神様が欲しいとのことで、奉納したものであると言われています。



 この神社の祭神は海上安全の神で、室町期の天文年中(1532〜55)、この村の漁師の網にかかった霊光コウコウたる束帯姿の御神体を祀ったものであると伝えられています。



 これで、逗子から始まった「三浦の七石」がすべてです。



(つづく)

 

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