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連載 第68回「三浦の五木その【1】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2020年10月9日号

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桜の御所と言われる本瑞寺
桜の御所と言われる本瑞寺

 『三崎誌』(宝暦六〈1756〉年刊行)の「木石」の項目の中に五木のうち、桃・桜・椿が記されています。「桃」については「歌舞島ニアリ、今ノ見桃寺ハ即(すなわち)昔右大将(鎌倉期の将軍頼朝公)花ヲ賞(しょう)シ(観賞のこと)給(たま)ヒシ処(ところ)トゾ。」とあります。

 「桜」のことは、「昔鎌倉右大将ノ命(めい)デ宝蔵山及び城ヶ島ニ桜数千株ヲ植(うえ)タリ、春来好花撩乱興(春が来て好い花が咲き乱れることを楽しむ、と言う意でしょうか。)さらに、「興アル詠ナリシトゾ、歳月悠久(年月が長くたっているので)今ハ枯(か)レ尽(つ)キタリ」と記されています。

 この文中に「宝蔵山」が記されています。それについて、『新編相模風土記稿』の中では「三崎番所北方の山上なり、北條山又城山(またしろやま)とも云フ」と書かれてあり、城址の境界は知ることができない。と記されています。

 さらに、『吾妻鏡』(治承四〈1180〉年から文永三〈1266〉年に至る鎌倉幕府の事情を記した史書)によると、三崎山荘・三崎御所などと記し、頼朝公及び実朝公がたびたび、ここに来られて弓矢の競技(小笠懸)などを行った。と記されています。

 『吾妻鏡』の建久五〈1194〉年閏(うるう)八月一日の項に「快晴。将軍家三浦に渡御(とぎょ)(中略)これ三崎の津において、御山庄(山荘)を建てらるべき故(ゆえ)なり。扈從(こしょう)(従う御供(おとも))巷(ちまた)に満つ。」とあって、その後(の)ち、三浦義澄が酒宴を催した場所について「この所の眺望、白浪を舗(し)き青山に倚(よ)る、およそ地形の勝絶(絶景)興遊(遊び楽しむ)の便(べん)を得るものか。」と記されています。

 また、『三崎町史』(上巻・昭和三十二年発行)の百十二頁に「桜の御所旧跡」として、次のように記されています。

 「桜の御所の旧跡は宝蔵山にあり、宝蔵山とは古名なり、今、北条山(やま)と称す。蓋(けだ)し(思うに)北条早雲が此(ここ)に陣営を構へしより斯(し)くは(ここに)名づけたり、別に城山(しろやま)又は陣屋山(じんややま)とも云ふ、山上に本瑞寺あり、是(こ)れ桜の御所の在りし所にて(中略)林中(りんちゅう)古桜ニ、三株幹根蟠屈(はんくつ)(がっしりと根をすえて勢力を振るうさま)して一山(ひとやま)の春を占(し)む」と記されていて、二・三株の桜が春の季節を占拠するほどの勢いであったのでしょう。三崎町の小字(こあざ)に「花暮(はなぐれ)町」(現三崎三丁目辺り)があり、その名は、昔城ヶ島の桜花が盛んな頃遊客が、この地から眺望して、日の暮れるのを忘れるほどであった。ということで名づけられた町名であると言われています。        (つづく)
 

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