味の素工場移転 創作秘話 ちょっと昔の逗子〈第9回〉 漁師の息子は漁師【3】
児童文学作家・野村昇司さんにご協力いただき、明治から昭和にかけての街の様子や市井の人々の生活を史実に基づいて蘇らせます。味の素工場を漁師の青年の視点から描いた創作民話『漁師の息子は漁師』です。
澱粉の廃液を田越川に流し込んでいたため、当然河口周辺の海を汚染し、漁師を先頭に地元住民も一緒になって工場へ改善を求めて押しかけてきた。
その先頭にはいつも栄作の母ちゃんがいた。栄作は母ちゃんの姿を工場で見かけるのがつらかった。工場からお給金をもらっている以上工場の仕事についてとやかく言う母ちゃんが許せなかった。
田越川に澱粉の廃液を流せないとなると、舟で葉山沖へ運んで捨てるよりほかなかった。舟で沖まで櫓を漕いでいくのも栄作たちの仕事だった。この話を聞き出してきた母ちゃんは火がついたように怒った。『少なくとも漁師の息子が海を汚す手助けをするなんて、かあちゃんは許せねえ。絶対、許せねえ』。
住民たちは、廃液を海や川に捨てるなというより、味の素の製造を改良してほしいというより、味の素の製造を中止しろと言うきつい要求に変わっていた。
この事態に工場は一年かけてその改善策を研究し、悪臭のでない硫酸による製造法を編み出した。
硫酸による製法になってからは苦情だけはなくなったが母ちゃんたちは相変わらず工場へ押しかけ、製造の中止が出来ないならば工場の移転を要求するようになった。工場も生産が間に合わない状況が目立ち始めていたので大量生産のできる工場用地さえあれば移転もやぶさかではないと考え始めていた。 野村昇司
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