味の素工場移転 創作秘話 ちょっと昔の逗子〈第10回〉 漁師の息子は漁師【4】
児童文学作家・野村昇司さんにご協力いただき、明治から昭和にかけての街の様子や市井の人々の生活を史実に基づいて蘇らせます。味の素工場を漁師の青年の視点から描いた創作民話『漁師の息子は漁師』です。
生産が高まれば高まるほど、悪臭はしなくとも大量の澱粉の廃液が出来る。夜中に廃液をそっと海に捨てても工場の庭先には廃液がたまるばかり。大雨の降り続く夜を選んで、田越川に流し込むこともあった。それも栄作たちの仕事だった。
丁度その頃、川崎市が国策にのって京浜工場地帯発展のため工場誘致を始めていた。幸い、この機を捉えて逗子の味の素工場は川崎への移転を決めた。従業員たちは機械化される大工場への移転に胸を膨らませていた。
明日には栄作も新しい川崎の工場へ移動を希望しようとしていたその夜。腰越の谷戸から吹き抜けてくる突風が海上で暴れまくっていた。江ノ島の沖あいで漁をしていた父ちゃんの舟が浪間に叩き込まれ、艪舵を握っていたあんちゃんをひとのみに海中へ引きずりこんでしまったのだ。
助けようにも助けられなかったと言うとうちゃんは、ただ、だまったまま日を送るだけになってしまった。栄作は川崎の工場への思いを告げることも出来ないまま、工場移転の日が近づいていた。
栄作の移転希望の話を聞き込んできた母ちゃんは叫んだ。
『わしら漁師を追い詰めた工場などでこれ以上働くことは許せねえ、父ちゃんだっていつ海に出られるかわらねえ。おたまじゃくしも大きくなれば蛙になる。蛙の子は蛙。漁師の息子は漁師と決まるちょる』
それでも栄作は川崎工場への移転を諦めきれなかったが、背を丸めたとうちゃんの一言。
『わしはまだ老いぼれちゃあいやせん』
すっかり年老いた父ちゃんの姿に栄作は自分の思いがぐらついてくるのをどうすることも出来なかった。
ある晴れた日、江ノ島の沖あいに舟の艪舵を漕ぐ栄作の姿があった。(完)
野村昇司
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