有料名越トンネル【5】 ちょっと昔の逗子〈第15回〉 田畑売却・銀行に借金 野村昇司
児童文学作家・野村昇司さんにご協力いただき、かつての街や人々の生活を史実に基づき蘇らせます。『有料名越トンネル』シリーズは街のため、一大プロジェクトに取り組んだ明治の男たちの物語です。
やがて大口の中へ吸い込まれるように土工たちの姿が消えていくと、ツルハシをふるう音のみがトンネルの大口から間断なく響いていました。この当時、すでに明治四(1871)年には日本最初の西洋式のトンネル工法によって神戸の石屋川隧道が完成をしていたが、名越隧道、小坪隧道の工事総額費用の関係からノミとツルハシによる内部の壁面が凹凸してしまう素掘りの工法を採用せざるを得ませんでした。
とんとん拍子に工事も進み、新道の迂回の底に当たる地点からの小坪漁港へと向かう道も完成にこぎ着け、明治十七年十二月、一年九か月、二つの素掘りのトンネルと小坪漁港までの新道が完成しました。
田畑売却・銀行に借金
しかし、発起人たちの「不足がでないように」という固い決議にもかかわらず、工事が終わってみると初めに考えていた二千円の工事予算の二倍以上の五千百九十九円七十四銭六厘もの経費がかかっていることが分かってきました。
責任を感じた富道は松岡家の田畑と引き換えに銀行から半年の期限で資金をかり、その場をしのいだが、それだけではまだまだ満足の支払いは出来ず途方にくれる毎日を過ごしていました。不足分をどうするか発起人と幾度となく協議に及んでいましたが結論を見いだせないまま三年の歳月が過ぎてしまいました。(続)
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