有料名越トンネル【7】 ちょっと昔の逗子 通行料の徴収に向けて 野村昇司
児童文学作家として活躍した故・野村昇司さんが遺した物語から、かつての街や人々の生活を蘇らせます。今シリーズは、一大プロジェクトに取り組んだ明治の男たちの物語です。
富道と安行は田越橋の渡橋料の記録や宇津の谷トンネル通行料を参考に通行人は五厘/牛馬は一銭/大八車・二人乗りの人力車及び籠が一銭五厘/巡回の警察官・郵便配達人、軍人や兵隊さん・そして、外国人は無料とすることにしました。
十五年間の後交通料の無料化
「この交通料が無料になるという時期の保証はないわけですね」
「取り決めは新聞の記事のように私たちは十五年間に限っての約束事にしたらどうでしょうか」
「十五年たたぬうちに借金返済が完了した際は」
「それはその時点で考えればいいことで、おそらくこの二つのトンネルは肌のごつごつした素掘りであるため修復しなければならないような事態に遭遇しないとも限らないので、まずは十五年を目安にしましょう」
通行料を徴収するということ、十五年間の約束事については発起人たちからもいろいろ意見が噴出しましたが、有料はこの明治二十年から十五年間に限っての約束事となり、それは明治三十五年という年が期限であることを理解してもらわなければなりませんでした。
再び半島の名主の
説得と同意を求めて
発起人たちの賛同を得るために富道と安行は再び、三浦半島郡役場をはじめ、村々の名主たちにトンネルを通る者たちから通行料を徴収することを認めてもらうために走り回りました。 (続)
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