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鎌倉と源氏物語〈第22回〉 後深草院二条と第七代将軍惟康親王

掲載号:2018年1月26日号

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若宮大路御所の一画
若宮大路御所の一画

 「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。

 二条が鎌倉に滞在した時の居住先はわかりません。ただ小町殿という知り合いの女性が「わがもとへ」と言ったのを、二条は遠慮し「近きほどに宿をとり」ました。小町大路(宝戒寺前の通り)の御所の近くでした。

 当時の御所は若宮大路御所ですが、鎌倉では幕府とともに三回御所が移転しました。最初は頼朝が開いた大倉幕府の御所。二度目は第四代将軍頼経(よりつね)からの宇都宮辻子御所。現在はそこに宇都宮稲荷神社が建っています。三度目が若宮大路御所で、ここは第六代将軍宗尊(むねたか)親王から鎌倉滅亡まで。若宮大路と小町大路にはさまれた鎌倉雪ノ下教会がある一画です。

 第七代将軍惟康(これやす)親王は第六代将軍宗尊親王の子。第三代将軍源実朝が殺された後、政子をはじめとする鎌倉幕府は後鳥羽院皇子の鎌倉下向を望みました。それを拒まれ、摂関家である九条家から迎えたのが第四代将軍頼経。摂家将軍といいます。第五代将軍は頼経の子の頼嗣(よりつぐ)。宮騒動など一連の騒動があって二人が帰洛した後に下向されたのが、後嵯峨院皇子の宗尊親王でした。幕府悲願の皇族将軍がここに叶ったのでした。

 二条が鎌倉に来た年、惟康親王は26歳。父宗尊親王が更迭され、将軍になったのは3歳の時ですから、23年もの間、惟康親王は鎌倉で将軍として崇められていたわけです。しかし、その年、惟康親王も将軍職を追われて帰洛させられます。二条はそれを目撃し、書き留めました。織田百合子
 

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