鎌倉と源氏物語〈第24回〉 将軍惟康親王の更迭と第九代執権北条貞時の内管領・平頼綱
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
鎌倉で暮らすようになった二条は鶴岡八幡宮の放生会の見物に行きます。第七代将軍惟康(これやす)親王が到着された際に見たお供の公卿や殿上人の人数の少なさに、「卑しげにも、ものわびしげ」と記しました。けれど、鎌倉武士の平二郎左衛門については関白の振舞にも見えるほど立派と書きました。この人物は、当時の執権北条貞時(さだとき)の乳母夫だったことから権力を欲しいままに恐怖政治を敷いていた平頼綱(よりつな)の嫡男です。
3歳から26歳まで鎌倉で将軍として君臨していた惟康親王ですが、放生会の日からまもなく更迭される事件が起きます。惟康親王は佐介谷に移され、五日ほど過ごしてご上洛になりました。出立は午前二時。宵からの風雨の悪天候をも押して親王は発たれました。こんな状況にもかかわらず二条は見に行っていて、親王が筵でくるんだ御輿のなかで度々鼻をかむ音が聞こえ、「御袖の涙も推しはかられ」と記しています。
執権貞時は第八代執権北条時宗(ときむね)の嫡男です。蒙古襲来の心労から時宗が34歳で早世すると、貞時は13歳で第九代執権に就任しました。年若い執権が頼りにしたのが乳母夫として自分を育ててくれた得宗家の執事・平頼綱でした。二条は頼綱の次男・平資宗(すけむね)とは気が合って続歌をする仲になり、鎌倉を離れる頃には関係を怪しまれるまでになっています。出家してもいつまでも妖艶な二条です。
織田百合子
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