鎌倉と源氏物語〈第28回〉 鎌倉幕府最後の将軍第九代将軍守邦親王
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
第九代将軍守邦(もりくに)親王の父君は、第八代将軍久明(ひさあきら)親王です。母君は第七代将軍惟康(これやす)親王の娘、すなわち第六代将軍宗尊(むねたか)親王の孫ですから、守邦親王は宗尊親王の曽孫です。8歳から鎌倉幕府滅亡の年まで約25年の在位でした。
鎌倉の滅亡時、幕府の情勢は『太平記』に書かれていますが、守邦親王の動向は伝わっていません。出家し、幕府滅亡の3カ月後に薨去したとされています。
けれど、武蔵国比企郡(現・埼玉県比企郡小川町)に鎌倉滅亡後の守邦親王の伝承が残されていて、それによると、親王は滅亡の時、慈光寺(じこうじ)山麓の古寺に亡命し、土地の豪族猿尾(ましお)氏に厚遇されてこの地に住んだといいます。伝承の真偽はともかく、私が気になるのは小川町という地と、宗尊親王の血筋の皇子のこの地の滞在です。
鎌倉には「尾州家河内本源氏物語」という、北条実時(さねとき)の奥書がある『源氏物語』の写本とそっくりな、『万葉集』の写本・「西本願寺本万葉集」がありました。その『万葉集』に関わったのが仙覚(せんがく)という学僧で、その人物の出身地が小川町で、その人物が宗尊親王に『万葉集』を献上した人だからです。
織田百合子
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