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鎌倉 コラム

公開日:2019.10.11

鎌倉のとっておき 〈第70回〉
中世鎌倉の美男子〜飯沼資宗〜

  • 与謝野晶子は「鎌倉大仏」を美男と詠んだ

 鎌倉は海・街・山に男前が集まる都市であるが、700年前の中世鎌倉にも美男子ともてはやされた人物がいた。その男の名を飯沼資宗という。



 飯沼資宗の父は若き九代執権・北条貞時に代わり、政務を執り行った平頼綱である。資宗は絶大な権勢を誇った父の力を背景に、御内人(みうちびと)(北条家嫡流に仕える人)では異例の検非違使(けびいし)(京都市中の治安維持を司る)に任命され上洛した。



 ちょうどこの時期、鎌倉に滞在していた「とはずがたり」の作者・後深草院二条は、資宗が特に印象的だったようで、将軍に供奉する資宗の姿や情のある人物と記し、和歌会をともにしたと書き残している。



 資宗は二度目の上洛で、京都三大祭りの一つである葵祭の行列に加わった。その様子は当時の公家の日記『実躬卿記』に「その美麗さは、およそ言語の及ぶところではない」と記されるほどであった。



 こうして京都でも美男子と評された資宗であったが、正応六年(1293年)、父・頼綱が粛清された「平禅門の乱」において討手に急襲され、27歳の若さで父とともに果てた。



 このように資宗が生まれ育った中世鎌倉は、個性的な人物が活躍した魅力ある時代であった。



浮田定則

 

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