鎌倉のとっておき 〈第105回〉 北条政子ゆかりの地へ
北条政子は、源頼朝が罪人の子として伊豆に配流されていた際にその妻となり、頼朝亡き後は出家し、将軍となったわが子頼家や実朝の幕府運営を支え、「尼将軍」と呼ばれた女性である。
鎌倉には、政子が臨済宗の開祖、栄西を招いて開いた壽福寺や、政子の供養塔がある安養院など政子ゆかりの地も多いが、鎌倉以外にも点在している。
まず「伊豆山神社」(熱海市)。頼朝はここで源氏の再興を祈願するなど、この神社を大いに崇拝し手厚く保護した。また、ここは政子と頼朝が人知れず忍び会っていた場所だという。
政子にはこんな逸話が残る。父が決めた武士との婚礼の夜のこと、頼朝に恋していた政子は、密かに館を抜け出し、彼のいる伊豆山神社へ駆け込んだというのだ。境内には、二人が恋を語り合ったという「腰掛け石」も残っており、今では縁結びや事業成就の神社としても親しまれている。
次に「乗蓮寺」(横浜市)。この寺は政子の発願で建立されたという。ここには、頼朝が近くの弘明寺を訪れた際、政子が化粧に使ったとされる「尼将軍化粧の井戸」があり、寺のある「井土ヶ谷」という地名もこのことに由来するという。また、政子が彫ったという「尼将軍坐像」も安置されている。
3人の将軍と共に武士の世を歩んだ北条政子。彼女の生涯は、約150年続く鎌倉幕府の礎(いしずえ)を築いた歴史でもあったのではないだろうか。
石塚裕之
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