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鎌倉 コラム

公開日:2022.04.22

鎌倉のとっておき 〈第129回〉
鎌倉と御家人〜長尾氏〜

  • 長尾台の遠景と柏尾川

 長尾氏というと長尾景虎。後の上杉謙信を思い浮かべる方も多いであろう。長尾景虎は越後国で生まれたが先祖のルーツは相模国にあった。



 大船駅北西の鎌倉市岡本と横浜市栄区の境に長尾台(栄区)という場所がある。ここが長尾氏の名字の地である。



 治承4年(1180)8月に伊豆国で平氏追討の旗をあげた源頼朝に対し、平氏方の大庭景親は反乱を鎮める為に兵を西へ向けた。この時、長尾氏当主の定景は大庭景親に従い、石橋山の合戦で佐奈田与一を討ち取るなどの武功をあげた。



 しかし源頼朝が房総半島から世紀の大逆転を成功させると、長尾定景は囚われの身となり、毎日法華経を転読し、死を覚悟する日々をおくった。



 長尾定景によって我が子、佐奈田与一を失った岡崎義実は、仏に心をゆだねる定景の姿に感銘を受け源頼朝に助命を申し出た。こうして命を永らえた定景は以後、鎌倉御家人として活躍する。



 今、鎌倉市植木にある久成寺に長尾定景の御墓は伝わっている。さらに長尾台町には長尾氏ゆかりの長尾砦跡や長尾氏の館があったといわれる長尾御霊神社など、かつての足跡を今も感じることができる。



 いつしか名字の地を離れた長尾氏。しかし上杉の名跡を継ぎ、北の大地で勇躍した一族の歴史は、新潟県や山形県米沢市を中心に今もその魅力を放ち続けている。



浮田定則

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