第2回「南湖」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
南湖は茅ヶ崎村に属していましたが、江戸時代に編纂された新編相模風土記稿に「南湖村と地域の人が呼んでいる」と記されるほど独自性のある地域でした。茶屋町、鳥井戸、上町、中町、下町の五つの町内に分かれていて「かみ、なか、しも、ちゃとり」とひと口に言います。町内は、人々が生活するまとまりのことで、其々の地域に神社があり氏神が祭られています。
浜降祭では、早朝の合同浜降りの後、八雲神社だけで南湖を回る独自の浜降祭があり、現在も続けられています。八雲神社の浜降祭では、江戸時代に其々の神社で浜降りをしていた様子を窺うことができます。
漁業を生活の糧とする人が暮らしていたためか、漁師町特有の入り組んだ家並みをしています。明治に、現在の西浜小の辺りに南湖院ができるまで、住吉神社が南湖の最南端にあたり、そこから南側は海岸でした。
晴れた日には国道一号が千ノ川をまたぐ辺りから、西側に富士山が望めます。「南湖の左富士」「鳥井戸の左富士」と呼ばれ、名所とされてきました。江戸時代の中期以降、葛飾北斎とともに風景画の新境地とされる歌川広重はこの風景を浮世絵として残しています。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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