第10回「今宿」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
「宿」が付く地名は各地にあります。交通の要地にあたる宿泊地の意味に解され、古い宿を本宿、新しい宿を新宿、今宿などといいます。今宿村の名が最初に見られるのは、江戸時代の1624(寛永元)年です。今宿村は宿場ではなかったのですが、東海道の街道筋で、村の東端から北上する通称八王子道(市道114線)の起点だったことから名がついたように思われます。『皇国地誌』には「隣の中島村の本宿に対して今宿と改称した」とあります。
かつてこの地域は、古相模川に囲まれていて中州状だったようです。水利には不便で、干害と相模川、小出川の洪水を恐れたといいます。今も残る地名に田、島、川、窪、河原などが付くことからも低地で河川敷の上に開けていた村だったことが分かります。古相模川について、『風土記稿』には次のようにあります。「一名筏(いかだ)川という。この川、村内にて長さ五十間ばかり(約90m)のところは、幅三十間(約54m)あり、さながら池のごとし。故に古池とも称す。」この大池はイカダマとも呼ばれていました。昔、相模川を下ってきた筏をためていたからといわれています。今は大部分が暗渠(あんきょ)になり、わずかに名残をとどめるだけです。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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