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茅ヶ崎・寒川 コラム茅ヶ崎の轍(わだち)

公開日:2014.10.24

第30回 道編 「八王子道」
茅ヶ崎の轍(わだち)
協力/茅ヶ崎市文化資料館

  • 鎮守である三島神社前を通り八王子まで続く

 国道1号の今宿信号を北へ向かう道を八王子道(はちおうじみち)といいます。八王子市まで約40Km余りの道程で、市内にはわずか2Km足らずです。今宿の鎮守・松尾神社、萩園の鎮守・三島神社、常顕寺、満福寺など古くからの社寺が並び、その先は寒川町、海老名市、座間市、相模原市、八王子市と続き、途中に中原街道、矢倉沢往還道などの古道と交差します。



 江戸時代、八王子は甲州街道の宿場として多くの商人や問屋が軒を並べ、周辺の生産物はここに集められてから各地に運ばれました。横浜から始まる八王子道は「絹の道」と呼ばれ、今宿からの八王子道は「さかな道」と呼ばれました。明治〜昭和時代にかけ、南湖には棒手振(ぼてふ)りという魚の行商人が大勢いました。また、明治〜大正時代に有馬村(海老名市)の郵便局から茅ヶ崎の茶屋町にあった郵便局の間では、定刻の郵便物が行き来したと『萩園のうつりかわり』に記録があり、この道を「逓送の道」と呼んだそうです。



 今でも寒川方面に向かう田端バス停傍に石の道標が立っています。八王子道が「さかな道」、「逓送の道」、「なんご道」と幾通りにも呼ばれたことは、それだけ多くの人が使った道であることを示しています。



【参考文献/茅ヶ崎市史】

 

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