初の短歌集『生きる』を出版した 粕谷 武雄さん 菱沼在住 87歳
人生の悲喜、歌に乗せて
○…20代半ばから専門誌や新聞に投稿し続けてきた約100首を掲載した初の短歌集『生きる』をこのほど、神奈川新聞社から出版した。「全くの我流だけれど、人生を振り返るつもりで」とはにかんだように笑う。
○…小学1年の時に母を、4年の時に父を亡くした。戦争が激しくなり、東京から母の実家があった新潟に疎開。「『とにかく生き抜かなくては』と常に思っていた」。新潟の農業高校を卒業後は、親戚が営む湯河原の旅館で働くように。高度成長期の追い風を受けて業績は順調。22歳で東京営業所長を任されるなど、忙しくも充実した日々を送っていた。
○…しかし24歳の時、不調を感じて病院に行くと「結核で余命半年から1年」と診断される。絶望のなか、当時、結婚を考えていた女性にも一方的に別れを告げる手紙を送った。そんなある日、ふと目が覚めると「夜ふけて病みたる胸の痛みなり四月の雨はかなしきものぞ」という短歌が浮かんだ。「人生最後のつもりで」短歌専門誌『アララギ』に送ると見事に掲載され「素直にうれしかった」。
○…その後、新薬による治療が効果を上げ、無事退院。30代に入ると静岡のリゾート施設運営会社に移って支配人や取締役を勤め、政財界や芸能界の要人とも交流を深めた。仕事一筋の人生の傍らにあったのが短歌。常にメモを持ち歩き、思いつくたびに書き連ねた。「50代で心臓病を70代で前立腺がんを患い、余命宣告も受けたけれど、そのたびに新しい薬や治療法が出て命をつなぐことができた。生かされてきたことの意味が何か、常に考えています」。最近は闘病中の妻を思う歌が多い。様々な浮沈を重ねたからこそ生まれる感情を、今日も三十一文字に置き換え続ける。
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