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大磯・二宮・中井 コラム日本国憲法の制定過程から学ぶ

公開日:2011.03.18

日本国憲法の制定過程から学ぶ
国会議事堂と国会
〈寄稿〉文/小川光夫 No.63

  • 国会議事堂

 6月20日、枢密院で可決された帝国憲法改正案は勅令をもって帝国議会に提出されるが、この「帝国議会」という呼び名は、明治11年に、元老院の第一次憲法草案(日本国憲按)で最初に用いられたことが最初であった。戦後、官の立場に立つ日本政府は、国民議会と国会とを同義語とせず、むしろ帝国議会をも含むことにこだわった。



 誰でも、「diet=ダイエット」が、食事や健康・美容のための食事療法という意味があることは知っていると思うが、「diet」には国会という意味もある。国会を示す英語の「diet」は、もともとは英語の「day」からきたもので、ヨーロッパでは家族が集まって談話しながら長い時間をかけて食事するが、彼らはこうした状態を「day」といっていた。それがいつしか転じて、一般大衆が日常的に集まる会合をさして「day」と呼ぶようになり、中世になってからは「議会」と呼ぶようになった。



 我が国では、「国会」という言葉は、明治初期の土佐派の人達や福沢諭吉の『国会論』のなかでもすでに使用されていたが、「民選議員設立の要求」で全国的に国民の間でも使用されるようになった。一方、帝国議会という言葉は、元老院など官の側から生まれたもので、国家機関としての議会を帝国議会、そして、その建物を「国会議事堂」あるいは「国会」と呼んでいた。



 戦後、「帝国議会」を「国会」という言葉に置き換えることが、GHQの憲法草案が提出されたことによって浮上してきた。当時の日本政府が英語の「diet」を示すものは戦前の官の側の「帝国議会」、いわゆる「the Imperial Diet」(天皇の議会)あるいは「議会」で踏襲されていた。それに対してマッカーサー草案で示された「the National Diet」は、「国民議会」という国民の側に立ったものであった。マッカーサー草案で示した「the National Diet」(国民議会)を認めようとしない日本政府は、「帝国議会」に未練を残しながら、帝国議会の建物を意味する「国会」を「the National Diet」の公式訳語として誤魔化そうとした。当時、天皇制の維持(国体護持)に躍起になっていた松本烝治や法制局など、日本政府のささやかな抵抗が、この「Diet」の訳語に表れている。



 普段、新聞やテレビなどのマスコミや私達が使用している「国会」という言葉は、どちらかというと国民を代表とする議会、すなわち「国民議会」と思われがちであるが、当時の政府からすると「国会」は帝国議会の建物のことであり、「帝国議会」から「帝」と「議」を取り除いただけのことなのである。

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