日本国憲法の制定過程から学ぶ 青年に託した憲法26条の「教育を受ける権利・義務」 〈寄稿〉文/小川光夫 No.84
1946年2月10日の民政局の憲法草案の教育に関する条文には「学究上の自由の保障」、「普遍的且強制的なる教育の設立」という言葉しかなかった。それを法制局の佐藤達夫が訂正して憲法改正草案第24条に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負う。初等教育は、これを無償とする。」とした。
同年7月30日、第5回芦田小委員会では、社会党及び協同党、新政会の三派から「才能あって資力のない青年の高等教育は国費をもってする」、「教育の根本精神はこの憲法の精神による」という修正案を提出して紛糾した。この修正案の「青年」の範囲について江藤夏雄議員より「大学を含むのか」という質問に対して、社会党の鈴木義男議員は「そうだ。これと同じ条文がフランスの人民戦線の憲法にある」と述べた。これに対して自由党の廿日出議員とのイデオロギー上の対立があったが、この「青年の範囲」については委員会の多くが賛成した。結局、国家財政と相談しなければならず、憲法としては原則のみを置くことにし、法律によって実行し得る限り段々拡大していくべきだ、という意見が主流となった。委員会の体勢は、党派を超えて「青年は大事であり、今後の日本の再建には青年は欠かすことはできない。青年を教育することは急務である」としている。結局、原案の「児童」は「子女」に、「初等教育」は「義務教育」となり、また「法律に定めるところにより」という言葉を下段に挿入した。なお「義務教育」については、8月1日の第7回小委員会で「普通教育」と変更された。
現在、「義務教育」とは、「小学校・中学校の教育」といった解釈がなされているが、当時は、大学生を含む広い範囲であると解釈されていた。勿論、資本主義及び社会主義というイデオロギー上の関係や公立学校と私立学校との関係、学生を受け入れる企業との関係、学校教育と社会教育及び家庭教育の関係、そして親が隣の子どもが大学に入ったから自分の子どもを大学に入れる、などといった弊風などについても討議がなされていた。
現在の民主党が「高等学校の無償化」を主張しているが、財政難の現状を考えると少し時代的に遅かったような気がする。むしろ高度経済成長時の豊かな時代に行って良いものであったが、当時の政府は、選挙や利権ばかりが頭にあって未来を担う青年者を育成し、託するという崇高な情熱がなかった。現実は、若者の就職難を生み出したことを考えると嘆かわしいことである。
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