820年ぶり大日如来を参拝 中井町で「行方不明」の仏像 山形に
盗まれて行方不明になったと伝えられていた中井町の大日如来坐像が、山形県鶴岡市大鳥地区の寺に安置されていることが分かった。同地区では鎌倉時代に相模の国田中(現在の神奈川県中井町)から落人が捧持したという由来が残るこの仏像。中井町半分形自治会(関野美喜夫会長)の住民有志たちが6月12日に大鳥を訪問し、先祖が拝んだかもしれない大日如来を約820年ぶりに拝礼した。
行方不明だった大日如来坐像は高さ約30cm・重さ30kg程の青銅製。鶴岡市大鳥地区にある深谷山龍雲院に安置されていた。由来書によると、大日如来が同地に辿り着いた経緯はこうだ。
建久4年(1193)、源頼朝の信頼が厚かった工藤祐経が曽我兄弟に暗殺された。伊豆で留守居役を務めていた祐経の弟祐茂は身の危険を案じて伊豆から離れ、甲斐、信濃路を経て越後へ。その後、雪深い山奥の地大鳥で村を開いた。祐茂らの一行28人は落ちのびる途中、相模の国田中の森に鎮座されていた大日如来像を工藤一族の守り神として捧持。二階巣(誉谷)の大日堂に祀った。仏像は「火伏せ如来」ともいわれ、誉谷集落では昭和40年代までの3百数十年間、火災が起きなかったという。
しかし、時の流れとともに大日堂が老朽化。過疎も進み、大日如来を護ることが難しくなったため2005年6月、保存委員会によって龍雲院へ遷座された。
この時に記された由来書を、大鳥地区に縁のある千葉県野田市に住む女性が昨年、墨書して同院へ納めた。その女性は厚木市の知人にも由来書を送付。歴史に詳しい知人が「相模の国田中」に注目し、昨年9月中井町教育委員会へ手紙を届けた。この話が町文化財保護委員会から半分形の住民に伝わり、820年ぶりの参拝が実現。自治会有志9人が6月12日から1泊2日で大鳥に滞在、地区の住民らと懇談し、龍雲院や工藤祐茂の墓をお参りした。
3月まで文化財保護委員をしていた半分形自治会の森茂さんは「無くなった仏像が鶴岡に安置されていることが分かって驚いた。800年以上の時が過ぎて大日如来様が縁を結んでくれたのでしょう。今後も大鳥の人々と交流を進めたい」と話す。また、自治会副会長の関谷満さんは「28人が落ちのびて行くには道中、目立ったと思う。当時この地を治めていた中村一族ら有力者の許可がなければ仏像を捧持することはできなかったのではないか。そんな興味深い謎も生じてきます」と語る。同自治会では、大日如来坐像が鶴岡にあったことや大鳥訪問についての報告会を開く予定だ。
同自治会が現在管理する大日如来坐像(町指定重要文化財)は、行方不明になった仏像の後継として享保18年(1733)に作られた木像といわれている。
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