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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第3回「伊藤博文【3】」文・武井久江

公開:2018年6月8日

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明治時代に造られた滄浪閣
明治時代に造られた滄浪閣

 明治18年、初代総理大臣に伊藤博文が任命されました。直前まで公爵である三条実美が有力候補だったのに、何故でしょう? この会議で井上馨が「これからの総理大臣は赤電報(通訳なしで英語を理解する)が読めなくては駄目だ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成したのです。これには三条を支持する保守派の参議も返す言葉がなかったのです。つまり英語力が決め手となり、出自(生まれ)が低いと言われていた彼が、初代内閣総理大臣になったのです。

 伊藤は長州ファイブとしてイギリスに行ったとき、滞在期間はわずか6カ月でしたが、日常会話には困らないぐらいには英語を勉強しました。しかし伊藤は帰国してからも読解力はまだまだと思い、洋書を約5000冊購入して勉強をつづけました。その努力が実ったのです。さらに総理大臣となった後も、自分の周りのブレーンには、秘書官の「金子堅太郎」(ハーバード大学に留学した経験を持ち、各国の法律や政治学に通じたスペシャリスト)をはじめ多彩な人達を置きました。憲法調査のためヨーロッパを視察後すぐに憲法制定の準備に入り、横須賀の夏島に別荘を構えて幕僚と共に籠り、草案は無事完成。1889年に大日本帝国憲法が発布されました。

 この憲法起草の過程で湘南の温和な気候や風景が気に入ったようで、夏島の別荘の一部を小田原の御幸の浜に移築し、最初の滄浪閣を造りました。その時の表門の額は明治の三筆の一人で巌谷一六(大磯の老舗和菓子屋の新杵の看板も彼の作)が書きました。現在、小田原のその場所には胸像が残っています。そして7年後の明治29年に大磯に滄浪閣を移し、30年には本籍を大磯に移し、大磯の町民となりました。ちなみに大磯の滄浪閣の扁額は李鴻章によるものです。

 次回は大磯に住まわれた12年間についてお話しします。

(敬称略)
 

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