大磯・二宮・中井版 掲載号:2018年10月12日号
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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第9回「大隈重信【1】」文・武井久江

大磯の旧大隈邸玄関
大磯の旧大隈邸玄関
 シリーズ第3弾は大隈重信です。満を持して、大磯町で「明治記念大磯邸園一般公開」の公募が始まりました。その1軒が旧大隈重信邸です。

 大隈重信は、天保9年(1838)、佐賀城下会所小路(現・佐賀市水ケ江)、佐賀藩士・大隈信保・三井子の長男として生まれます。大隈家は、石火矢頭(砲術奉行)を務める上士の家柄でした。7歳で、藩校弘道館に入学、佐賀の特徴であります『葉隠』に基づく儒教教育を受けますが、これに反発し1855年に退学処分を受けます。この藩校に通っている12歳の時に、父・信保が亡くなります。その時、母から「大らかであること。やさしき九州男子であれ」との教えを守り、滅多なことでは怒声を上げなかったとか。

 そんな思いを抱えながらも、彼はその後、1856年長崎・蘭学寮で学び、1862年蘭学寮は弘道館に合併され、彼は24歳で教授になり、藩主である鍋島直正にオランダの憲法について進講します。1865年に長崎の五島町で佐賀藩校英学塾「致遠館」(校長=宣教師グイド・フルベッキ、教頭格=副島種臣)で大隈も教頭格として指導にあたりました。そしてフルベッキに英語を学び、新約聖書やアメリカ独立宣言を知り大きく影響を受けました。この時に政治家になることを決心します。明治維新に際しては参与職、外国事務局判事に任じられ、キリスト教禁令についてイギリス公使パークスとの交渉の手腕をかわれ、翌年からは会計官副知事を兼務し、新貨条例の制定など金融行政にも係わります。明治4年に、ウィーン万国博覧会の参加要請を日本政府が正式に受け、大隈が総裁、明治になって政府が初めて参加した万国博覧会となりました。大隈のもと、伊藤博文や井上馨といった若手官僚が集まり政治談議にふけった大隈の私邸を「築地梁山泊」と言い、後に伊藤たちとは袂を分かつことになります。次回は「明治14年の政変」へと続きます。

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