大磯・二宮・中井版 掲載号:2019年2月22日号
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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第17回「西園寺公望【4】」文・武井久江

多磨霊園にある西園寺家の墓碑
多磨霊園にある西園寺家の墓碑

 今回で西園寺公望は、終焉を迎えます。今年は元号が変わる年でありますが、西園寺が生まれたのは、嘉永2年(1849)、亡くなったのが昭和15年、激しく年号が変わりました。

 嘉永の後は、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和にまたがる、近代史そのものだといえます。大正1年(1912)12月21日、第2次西園寺内閣が総辞職した同じ日、大正天皇からの「侯爵西園寺公望へ勅語」が下りました。このときから西園寺は、山縣有朋・松方正義・井上馨・大山巌・桂太郎らと同じ元老に列せられました。政界の第一線を退き、政友会総裁も辞任し、西園寺が元老になってから、第1次山本権兵衛内閣、第2次大隈重信内閣、寺内正毅内閣と続くが、後継内閣組閣のたびに西園寺への入閣要請の声が上がりました。西園寺はひたすら固辞したが、寺内の次の首班選定にあたっては、元老間の話し合いの結果、西園寺は辞退し、「原にては如何」という西園寺の強い主張が通って、大正7年(1918)9月、陸軍大臣と外務大臣以外はすべて政友会員で占める原内閣が成立しました。日本初の平民相内閣は、西園寺の推進により出来上がりました。

 同年11月11日に、第1次世界大戦が終了しました。その翌年、最後の大仕事となったパリで開かれた講和会議に日本首席全権として渡欧しました。その時に近衛文麿・西園寺八郎(西園寺の養嗣子)夫妻・伊藤真一(伊藤博文の庶子)ら、次代を担う青壮年を伴い、同時に牧野伸顕は吉田茂(娘婿)を伴い、パリ講和会議を遂行しました。会議から帰国してまもなく大正8年9月に興津に「坐漁荘」を建ち上げ、生活の中心となりました。そして大正13年には、皆亡くなりただ一人の元老になり、昭和15年12月5日、最後の言葉「いったい、この国をどこへもってゆくのや」と最後の元老として国家の行く末を案じていました。日比谷公園で国葬の儀が執り行われお墓は、多磨霊園です。昨年お参りしてきました。(敬称略)

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