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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第24回「加藤高明【4】」文・武井久江

公開:2019年6月28日

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鶴舞公園にある普選記念壇
鶴舞公園にある普選記念壇

 護憲三派による政党内閣がついに誕生しました。第1党となった憲政会総裁の加藤が総理大臣に推薦されました。政友会総裁の高橋是清が農商務大臣、革新倶楽部党首格の犬養毅が逓信大臣になり、他の大臣の顔ぶれは、幣原喜重郎(外相)、若槻礼次郎(内相)、浜口雄幸(蔵相)、後に総理大臣になるメンバーがそろいました。

 大正13年(1924)5月の総選挙で憲政会が大勝利をおさめた当時の元老は西園寺公望と松方正義の2人になっていました。その松方も、2カ月後に亡くなり、実質的に西園寺公望一人が総理大臣の推薦を担っていました。

 そして加藤は、ついに大正13年12月開会の通常議会で自らの内閣によって普通選挙法を制定させる機会を得たのです。でも、議会に提出された法案がすんなりと決まった訳ではありません。明治憲法下では、衆議院と貴族院両院の一致がなければ法案は流れてしまいます。

 会期を何度も延長し、ついに貴族院を納得させたのが大正14年3月29日でした。この日、衆議院と貴族院はそれぞれ本会議を開き、法案を通しました。これにより、330万人ほどだった選挙権の保有者が4倍近い1240万人にまで増加しました。そして、5月5日・普通選挙法成立の祝賀会は、東京の上野精養軒前で行われました。この時点では、女性に対する普通選挙権は獲得しておらず、更なる戦いが続き昭和20年(第44代総理大臣・幣原喜重郎〜高明の義弟にあたる)に成立されます。法制定から実施までは3年近くブランクがあき、初の総選挙が実施されたのは、昭和3年の第26代・田中義一内閣時でした。

 普通選挙法の制定など加藤内閣の初期の目標は達成されましたが、ほどなく護憲三派を組んでいた政友会の内紛が起き、高橋是清・犬養毅も大臣を辞め、憲政会に対立するようになり税制などの話し合いにも反対、当時閣僚は本人が辞任しない限り辞めさせることができないため、加藤は苦渋の選択として内閣総辞職を選択します。では、次回。(敬称略)
 

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