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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第36回「吉田茂【3】」文・武井久江

掲載号:2020年1月10日号

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外交官としてスタートを切る吉田茂
外交官としてスタートを切る吉田茂

 令和2年の幕開けです。養父(吉田健三)亡き後、耕余義塾で5年間の勉学を終了した茂は、明治27年日本中学(前身は東京英語学校)に入学。この学校の設立者は杉浦重剛で彼は皇太子(昭和天皇)に7年間にわたり倫理を進講した方です。昭和天皇と師を同じくした茂の「皇室観」に大きな影響を与えました。実は茂は、16歳から18歳の多感な時期に4つの学校を転々とすることになります。何故かというと、養父の死後、養母である士子は病気がちな身をかかえて、大磯で療養生活(明治17年に現在地を収得)を送っていました。東京に残った茂は頼る人もなく、全てを自分で判断していくほかなかったのです。高等商業学校(現・一橋大学)に転校した時は、養父・健三の遺志を継いで実業家を目指そうと考えていましたが、肝心のそろばんが上手く扱えなかったことから、2ヶ月で退学。「居場所」を求めているうちに、ストレスから眼病にかかり療養生活を送ることになりました。

 病が癒えて帰京する時に偶然目にしたのが、学習院の生徒募集でした。戦前の学習院は華族を中心とした上流階級が通う学校でしたが、校風は茂にぴったり合っていました。事実それまでの学校遍歴が嘘のように、7年間の学校生活を送ります。エリート軍人を育てるのが当初の学習院でしたが、茂が入学した頃は優秀な外交官を育てるため、東洋・西洋外交史、国際法、行政法、そして語学と外交官にとって必須の教育を受けることが出来ました。あと少しというところで、設立者であります近衛篤麿(文麿の父)が急逝して大学科は廃止され、茂は転学先に東京帝国大学(現・東京大学)法科大学政治学科へ編入し明治39年、28歳で卒業。第15回外交官試験を受験、合格する。ともあれ、外交官として第1歩を踏み出した茂は外務省へ意気揚々と通勤するようになります。その端的なエピソードが白馬に乗っての通勤でした。次回は外交官としてのスタートです。(敬称略)
 

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